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同僚性について(5) 助言より傾聴

同僚性について(5) ~助言より傾聴                         

隠岐養護学校 赤山克司

 10月の職員会議で同僚性について、次のような話をしました。

 経験のあるものが、助言をするということは、一般的には推奨されていることだと思います。 ただ、周囲からみて良い助言であっても、聞くひとが、その時点では理解できないということは当然あることです。そして、よくわからないために、助言通りに対処できないことも起こりうることです。

 よかれと思ってした助言が生かされない場合、相手への失望や不満が生まれる可能性があります。そのような意味で、助言には人間関係に悪影響を与えるあやうさがあるのです。

 「ともに学び合う関係」=同僚性を高めるためには、気づいたことをすぐに助言するのではなく、相手が何に困っていて、どう考えているのかをまず聴いてください。そうして、相手の思いを確認した上で、一緒に課題の整理をし、対処方法を語り合ってください。

 以上のような説明をしたわけですが、本当に「分かる」には、時間がかかるものであることを、先生方に感じてもらうために、森下典子さんが自分の茶道経験について書いた「日日是好日」の一節を紹介しました。 日々の積み重ねの大切さもつたわってくる、味わいの深い文でもあります。折に触れて、引用したいと考えています。

以下引用です。  

「20歳のとき、私は「お茶」をただ行儀作法としか思っていなかった。鋳型にはめられるようで、いい気持ちがしなかった。それに、やってもやっても、何をしているのかわらなかった。一つのことがなかなか覚えられないのに、その日その時の気候や天候に合わせて、道具の組み合わせや手順が変化する。季節が変われば、部屋全体の大胆な模様替えが起こる。そういう茶室のサイクルを、何年も何年も、もやもやしながら体で繰り返した。  

 すると、ある日突然、雨が生ぬるく匂い始めた。「あ、夕立がくる」と、思った。  

 中略  

 どしゃぶりの日だった。雨の音にひたすら聞き入っていると、突然、部屋が消えたような気がした。私はどしゃぶりの中にいた。雨を聴くうちに、やがて私が雨そのものになって、先生の家の庭木に降っていた。  

 「生きている」って、こういうことだったのか!  ざわざわと鳥肌がたった。  

 お茶を続けているうち、そんな瞬間が、定額預金の満期のように時々やってきた。何か特別なことをしたわけではない。どこにでもある20代の人生を生き、平凡に30代を生き、40代を暮らしてきた。  その間に、自分でも気づかないうちに、一滴一滴、コップに水がたまっていたのだ。コップがいっぱいになるまでは、なんの変化もおこらない。やがていっぱいになって、表面張力が盛り上がった水面に、ある日ある時、均衡をやぶる一滴が落ちる。そのとたん、一気に水がコップの縁を流れ落ちたのだ。」「日日是好日」P5 新潮文庫

2018年1月

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