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進路研修会3 なんとかなるかもしれない

隠岐養護学校長

赤山克司

 1月12日 進路研修会で考えたことの二番目について補足を少々。

「二つ目は、選択する際の迷い・不安をなくすことはできないけれど、知りたい情報を手にすることができ、相談する場があると軽減することはできるかもしれないということ。」

「軽減」とはどのようなことかというと、将来を考えたとき「なんとかなるかもしれない」という思いがもてる時があるということと、私は考えています。

「なんとかなるかもしれない」と言う言葉は、ここ三年研修をお願いしている鳥取大学の三木教授がよく使われる言葉です。

 保護者が、子どもの将来について「 なんとかなるかもしれない」という予感をもつという意味でつかわれる時と、子ども自身が学習の積み重ねで、新しい事柄に直面した場合にあっても「なんとかなるかもしれない」と踏み出していく意味で使われる場合の二つがあるのですが、今回は保護者に「なんとかなるかもしれない」と感じてもらえることの大切さを研修を通じて感じました。

 保護者にもってほしい「なんとかなるかもしれない」という感情は、確信となって持ち続けられるものではありません。日々困ったことがあると、消えてしまう不安定さをもっています。

 これは、本校に関わる方々に限ることではなく、誰にも保証された将来などないことを思えば、当たり前の事実であるはずですが、時として忘れてしまう。忘れて、「こうすれば、大丈夫です」といってしまいたくなる。そんなことを学校が繰り返すと、不安をもつ保護者との間にどんどん溝ができてしまう。そんな危惧をもっています。

 「なんとかなるかもしれない」という思いを、子どもの成長を通じて感じてもらえたら、それが一番なのではないでしょうか。

 けれど、近くにいては、成長は気づきにくいし、そんなに教育活動の成果がすぐにでるものでもありません。子どもの成長は発信し続けにくいのですが、「成長をにつなげるためにこんな取り組みをやっています」という取組の説明、紹介は継続的にできることです。

 加えて、学校での取組が保護者の理解を得て、地域にいわゆる口コミで広がる時、相談という場が地域に生まれたといえるかもしれません。

 卒業生の保護者による研修が、地域での相談の糸口になってくれたらと期待しています。

進路研修会2 安心と楽しさ

隠岐養護学校長

赤山克司

 1月11日の進路研修会で感じた二つのことの内、一つ目について補足をしていきます。

 「一つ目は、進路を決める大きな要素は、学びそして生活している本人の毎日の安心であり、楽しさであること。」

 狭い意味の進路選択とは、どこで学ぶか、どこで働くかを決めることだと考えられます。 たとえば、どこで学ぶかを考える場合、「本人に応じた教育活動」が行われる場所を選択するということになるのでしょうが、「本人に応じた」とはどのような内容を含んでいるのでしょうか。

 すべての教育活動は、「できなかったこと、分からなかったことを、できるように、分かるようにする」という方向性の中で考えられています。

 ですから、小学校に入学する前に「できないこと」が目についたとしても、学校において克服されるという思いをもつことは、自然なことです。そのような期待をもってもらえることは、学校への信頼の現れですから、ありがたく受けとめるべきこととでもあります。

 また、学校は学習の場であるとともに、地域の子どもたちとのつながりの中で生活する場でもあります。学校・学級の選択の際、つながりが続くようにと考えられるのは、これもまた理解できることです。

 ただ、上の二つのことがらは、「本人」の思いをうけての判断とは必ずしもいえません。では、どうしたら「本人」の思いを把握することができるでしょうか。

 やはり本人のその時々の行動をしっかり見ていくことに基本があるように思えます。誰しも「いやなこと」「わからない」ことには消極的であったり逃避的になるはずです。

多 くの場合、最初からやらないということはなく、やろうとしようとしてできず、がっかりしてしまうようです。落胆している様子は、隠しようがないものです。

 「わからない」「できない」ことは、努力で解決できるはず。先ほども書きましたが教育活動は、努力=継続的な取組でできるようになるという考えの上で成り立っています。

 ただ、「苦しさを我慢してということ」のみを努力の中身とすることには疑問を感じます。

 多くの継続的な取組は、「楽しさ」の上に成り立っていると考えることが、建設的であるからです。

 我慢は本人の内面の問題とされますが、「楽しさ」は本人の活動を支える環境・関わりの在り方に注目が集まるものです。我慢の強調は人と人との関係を断ち切りるおそれがありますが、「楽しさ」に着目すると、本人と周囲のよいキャッチボールのような循環がイメージできるはずです。

 「楽しさ」とは苦労・苦痛がないということだけではなく、少々の苦労・手間をおしまず取り組みつづける状態だと考えます。「楽しさ」を感じるレベルはそれこそ成長していきます。でも、本人が取り組み、手応えを感じることが「楽しさ」の基本的な在り方であるとしたら、保育園児が感じる「楽しさ」も、世界レベルに挑む人々の「楽しさ」も「手応え」に支えらていることになりはしないでしょうか。

「手応え」は見ていて分かるものではないでしょうか。

 学習する場の選択にあたっては、「できる」「できない」という二元論に陥ることなく、このような関わり、教材を用いれば本人の意欲が高まっていく、活動に集中しているという「手応え」の部分を丁寧に説明していくことが不可欠でないでしょうか。

 「本人に応じた」は本人の姿から推し量るのが重要であり、本校のセンター的機能の一貫で行っている保育所訪問は、そのような思いで行ってきているものです。

 次回は、情報を伝えるということについて補足をしていきます。

進路研修会1 二つの確認

隠岐養護学校長

赤山克司

 1月12日 進路研修会を開催しました。

 今回は、本校の卒業生の保護者お二人に、学ぶ場や就労の場をどのように考え、選択していったかを語っていただきました。 

 本校の保護者や福祉サービス事業所の方々など20名を超える方が参加され、お二人の話を聞いた感想や現在の思いを話していただく時間もとることができ、参加者それぞれの学びがある研修会にできたのではないかと受けとめています。

 誕生の頃の思い、かっては保育園への入園が認められていなかった時代のこと、支援学級・支援学校への入級・入学、働いている現在の生活と将来の生活をどう考えているかなど等、話題は多岐にわたりました。

 そのお話を聞き、大きく二つのことを改めて大切にしていきたいと考えました。

 一つ目は、進路を決める大きな要素は、学びそして生活している本人の毎日の安心であり、楽しさであること。

 二つ目は、選択する際の迷い・不安をなくすことはできないけれど、知りたい情報を手にすることができ、相談する場があると軽減することはできるかもしれないということ。

 この二つは、現在本校で学んでいる児童生徒の姿、様々な場で働いているいたり、楽しそう遊んでいる卒業生の姿自体を、不安をもつ方々に伝えていく取組が是非必要であることに結びついていきます。

 それができているのか、工夫することはできないか。いただいた宿題に少しでも答えていく年としていきます。

 上であげた二つの点については、明日以降もうすこし説明をくわえていく予定です。

3学期始業式

隠岐養護学校長

赤山克司

 1月8日の始業式で次のような話をしました。

 年の初めですから、「あけましておめでとうございます」

 よい年末年始でしたか。

 2学期の終了式で「できることはやりましょう」と話しました。何かやりましたか。 やってくれているといいなと思っています。

 さて、1月11日には、餅つき会があります。その時に「年頭所感」を発表してもらうことは、高等部2・3年生はもう分かっていますね。

 私は所感や目標をもつことはとても大切なことだと考えています。

 自分の目標があれば、自分のやったことを自分で「よくやった」「だめだった」「もうすこしだった」と考えることができるようになります。 目標があれば、自分できもちよく行動できるようになりやすくなります。自分のための目標をかんがえてください。

 目標を決めようとすると、どうせできないからとすぐ思う人がいるかもしれません。 ですから、大きな声でいっておきます。「三日坊主」でもいいですよ。 一日だけでもいいですよ。

 自分で決めて、自分で始める経験が皆さんにはたいせつなんです。

 とにかく一回でもやってみる、つづかなくても、自分にとっては大切なことだとしたら、また始めて見る。それでいいのだと思います。

 では、「年頭所感」を大切にしてよい年にしましょう。

新年の抱負

隠岐養護学校長

赤山克司

 1月8日から3学期が始まります。

 隠岐養護学校では、3学期の学期初めに「餅つき会」を行ってきています。平素お世話になっている方々をお迎えして、一緒に餅をつき、雑煮や黄な粉餅等にして楽しくいただく行事です。

 「餅つき会」にあわせて、児童生徒一人一人が「年頭所感」と題した「今年の抱負」を発表しています。校外から来られた方々にも聞いてもらえることは、子どもたちにとって、緊張することではありますが、それだけ発表する言葉に重さがでてくるのではと期待しているところです。

 今年の「餅つき会」は1月11日。明日の始業式では、「抱負」や「目標」の大切さについて話をする予定です。自分で「やりたいこと」を決め、始めることの大切さが伝わればよいのですが・・

 さて、生徒だけに目標を求めてもいけませんので、私も今年の目標の一つをここに書いてみます。

 「隠岐養護学校のHPを週5回は更新する」

 フォトギャラリーの写真の更新も含めて週5回。

 内容の充実を、HPに載せる情報の鮮度のよさで図っていきたいと考えます。

 本年も隠岐養護学校のHPを覗いていただきますようお願いいたします。

 

語り合うという文化

  隠岐養護学校長

赤山克司

 児童生徒19名の小規模校である本校は、自分が担当していない児童生徒のことであっても、教員全員で話し合ってきています。これは開校以来の取組だと思われ、本校に定着した文化であると考えています。

 12月14日 高等部1年生の生活単元学習の公開授業をうけた研究協議でも、教員を3グループに分け、語り合ったのですが、進行が「では話し合いを終えてください」と数度告げても、語りやまない状態でした。

 本校は、教員の年齢構成のバランスのとれた学校です。大学を卒業して一年目の先生から再任用で勤務いただいている先生まで、年齢層がひろく、かつ20才台~50才代まで10才区切りの教員数はほぼ等しくなっています。

 様々な年齢層の教員が、グループで語り続けるのは、誰かが議論を仕切っておらず、フラットな状態でお互いに話し、そして聞くことが行われているからだと見ています。

 加えて、昨年来の研究テーマ「課題にせまる授業作り」では、生徒の特性、生活・学習状況より、生徒の課題をどこに求めるかが大切になるため、生徒の授業中の姿、日常生活での様子を相互に出し合うことが研究協議のスタートとなります。

 「自分はこういう姿を見て、こう考えた」という「私」を主語とした話がやりとりされるのですから、「そうなんだ」と聞きやすいし、話をつなげやすいのでしょう。

 話し合い活動の目的は、児童生徒の課題をすりあわせ、課題解決への具体的な道筋を整理することです。ですので、活発な話し合いをまとめる必要性があるのですが、その部分は、該当学年部に任されます。研究協議での話し合いは、学年部に所属する教員の視野を広くして、日々の生徒の活動、自分たちの支援をふり返る機会と割り切っています。

 少人数の生徒に、生徒数以上の教員が関わっていくのですから、「手のかけすぎ」に陥ります。また、うまくできていない部分に焦点をあてがちで、良さを見つけにくくなってしますきらいがあるのです。

 ですから、全員で話し合いことが大切だと考えています。

 さて、12月14日の研究協議の柱は、紐をうまくむすべない、自分やったことでも忘れがち、言葉での指示が通りにくいなどの「不得意さ」が目につく生徒でした。そのため「不得意」さの情報交換となりがちなのですが、作業をはじめると、きちんとやりとげようとする態度を身につけているこの生徒の可能性を指摘する意見も出されていました。

 作業をやり続けることができるのに、あまりにも多い「不得意なこと」の間には何があるのだろう。仮説はいくつかあるでしょうが、一つは圧倒的な経験不足、二つ目は定着するのに他の人より多くの反復を必要とすることではないかと私は考えています。

 私は「習慣」という考え方を重視しています。また、「考える」ことの強調にも少々疑問をもっています。自分の生活をふり返っても、考えずにほとんど慣れで動いていることが多いと感じているからです。考えるためには、経験や学習が必要で、それなしに考えることはできません。反復による「慣れ」。その中で、何かに気づく。その気づきを人は「考える」と呼んでいるのではないでしょうか。「考える」力を育むためには、反復をつづけ、ある程度なれた時に、「どうしたらもっとよくなる」と聞いてみたらどうだろか。

 作業をやり続けることができるのですから、その作業・活動の中で、教員が適切に声がけを行っていけば、本人の中に、少しずつでも言葉の貯金ができるはずです。貯金が膨らみ口から言葉がでていくそんなイメージで取り組んでもらいたい。その日が来ることを全員で信じていきたいと考えています。

料理がつくれなくても・・

隠岐養護学校長

赤山克司

 10年ほど前、職場の同僚と学生時代の食事をどうしていたかという話になり、学食とか、いきつけの食堂、もちろん自炊の話題が多かったのですが、一人「自分は料理をつくらないが、困ったことは全くなかった」と言う人がいました。

 どうしてたの?と尋ねたところ、「食べるところはあるし、スーパー・コンビニで買うこともできる。お金がなくなったら友人のところで食べていた」とのこと。

 最後の「友人のところで食べていた」という部分に、私は「それはすごい」的な発言をした覚えがあります。

 「食べさせて」と頼む人がいて、「いいよ」と答える人。なんかいい感じの話ですが、頻度があがると、「頼む」が「頼み込む」に、「いいよ」が「しょうがないな」に変化していきますから、頼れる人が数多くいたということでしょう。

 確かに、多くの知り合いがいて、「お願い」ができる関係を維持できる人であったら、できるだろうと思います。そして、一緒に食べるとおいしいですし、確かにあの人と一緒にいると楽しかったからなと懐かしく思い出します。

 しかし、多くの人ができる技ではありません。買うか、店にいくか、作ってもらうか、そして自分でつくるか。ほとんどの人はそのいずれかを選択しないと、空腹がおそいます。

 「自分でつくる」いった場合、みなさんはどのような食事を思い描かれますか。冷凍食品やインスタント食品。自分でご飯を炊いて野菜炒め。つってきた魚を煮て等々。様々です。

 また、健康であるとか、栄養であるとか、そもそもおいしいのかとか、食事については色々な観点からの情報が洪水のようにあるので、「いい食事」を考えるとめまいがしそうな状況があります。

 ここでも、全部満たすことをめざすことは難しい。最初から「健康的で栄養があり、しかもおいしい」をめざすことは、挫折の谷間直行便のような話であり、そもそも大切な食事が苦痛になってはいけないと思います。

 本校では、中学部・高等部の生活単元学習の中に「調理活動」を取り入れています。学年によって、「ご飯、ハンバーグ、サラダ、コンソメスープ」の時もあれば、11・12月に高1が取り組んだものは、「チャーハン」「焼きそば」「ナポリタン」の中から一つ選択して作るという活動でした。

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 まず、つくる経験をもつということが主目的としています。高1のある男子生徒は、「焼きそば」づくりを4回続けています。

 野菜をきって、フライパンを熱して、麺を投入、様子をみて最後にソース。慣れた人なら流れるようにできる手順ですが、初めての人は、具として何をいれるのか、野菜をどの大きさに切っていいのか、どれぐらいフライパンを熱し、油は・・・・。考えていては麺が焦げてしまいます。慣れるのが一番の方法。できた、食べた、結構うまかった。この繰り返しをはじめるきっかけが学校での調理活動になればいいと願っています。

 後は、家の人がつくる機会をつくってくれるかです。それと自炊を断念する大きな原因、後片付け。ここができないと家の人はチャンスをくれそうにありません。

 そこで、お願いです。後始末で大変でしょうが、長い目で見ると、料理を作る人を増やす方が後々楽になる可能性が高いですよ。どうかチャンスを。

おもてなしの授業をふりかえって~弱さを力に~

隠岐養護学校長

赤山克司

 先日、高等部1・2年が、「おもてなしをしよう2」という授業で、保育園児を本校に迎えて、体育館で一緒に遊ぶ取組を行いました。中学部の生徒と活動をした「1」に続いての活動です。

 一連の授業を通じて「おもてなし」とは何か、「不安なくおもてなしをするには何が必要か」「どんな活動を行うか」を、教員と一緒に考えていました。

 その授業の一部、「不安なくおもてなしをするためには何が必要か」を話し合う授業が研究授業として公開されましたので、生徒がどのように話し合っていくのかを、直接見る機会がありました。

 話し合いの最初に、「不安なくおもてなしをするためには何が必要か」というテーマについて、一人一人が付箋に自分の考えを書いていく活動がありました。

 半数の生徒は、すぐに書き始め、半数はなかなか文字にすることができませんでした。私が注目したのは、すぐに書き始めた生徒の一人。はじめて会う人や活動に不安を強くもつ生徒で、話し合いなどで意見を出しにくい状態の生徒です。

 その生徒(以後Aさんとします)は、数枚の付箋をたちまち書きあげました。Aさんの日常には不安がいっぱいなのですから、自分の不安とその解消方法とが結びつけば、方策はあふれるほど出てくる高い可能性があると私は考えていました。

 そう考えると、「園児をどのように迎えるか」の前に、「初対面の人に会うとき、どのような不安を感じるか」のように自分自身について整理する質問が必要ではないかという思いをもちながら、話し合い活動をみておりました。

 ただ、不安は漠然としているから不安なのでしょうから、文字という形にすることは難しく、そして過去の色々なことを思い出して辛い思いをもつおそれはあります。でも、自分に向かい、不安の一部でも言葉にできれば、何かにつながっていくはずです

 もし、それができるようになれば、自分の中のいやな記憶が、人に接する際の様々な知恵に変換できる。その生徒の特性や発達からみて、適切な活動であるかは今後、担任などで検討してもらうことにして、以上のようなことを授業後の研究協議で話をしました。

 実際に園児を迎えた授業は、出張と重なったため見ることができなかったのですが、研究協議の場で、Aさんのがんばった姿の紹介がありました。

 園児を迎えて、生徒一人が一つのゲーム(魚釣り、射的など)を担当し、園児がゲームを一巡した後、園児に自分でやりたいゲームをもう一度やろうという時間を設けた時、Aさんの受け持ちのゲームには園児が来ず、他のゲームは大忙し。Aさんは、すこし時間をおいて、自分の判断で他のゲームの手助けに向かったということでした。

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 選んでもらえなかったというのは、不安ではすまなかったしょうに、よく自分で動けたなと、最近涙もろくなっている私には、少々我慢が必要な話でした。

 みんなで話し合いって、活動について見通しが持てているからの行動だと思います。一緒に居る人がいるから、助けに行こうするチームとしての活動が引き起こした動きだとも思います。

 おもてなしをするという活動で、生徒どおしがつながっていく。それを教員がしっかり言葉にして返していく繰り返しで、生徒の中に言葉がたまってきたら、自分の不安を、活動のアイディアとして作り替えることができる。そう信じて、言葉をかけ、言葉を育てて行きたいものです。

 そうすれば、「弱さ」が「力」にできるはずだと私は考えます。

発表会のお礼~舞台の力~

隠岐養護学校長

赤山克司

 12月8日に隠岐島文化会館で開催いたしました「みんなでつくる発表会」に多くの方にお越しいただき誠にありがとうございました。

 本校児童生徒などの演技・演奏には、予想しない「間」が何度も生まれましたが、観客の皆様にしっかり支えていただき、演技・演奏を終えることができました。

 また、隠岐高校吹奏楽部、隠岐の合唱団「OKIUTA」そして「オキショー」の皆様には、ステージを盛り上げていただきました。感謝申し上げます。

 さて、「みんなでつくる発表会」は35回を数えました。初回から運営に関わっている方にお聞きしたところ、第1回から今回まで連続出演している女性が1名おられるそうです。今年「浦島太郎」の「乙姫」役がその女性とのこと。この女性は、劇団「たいよう」の団員として、島内外の舞台に立ってきたとも伺いました。

 劇団の指導を長年つづけられているHさんは障がい者の演劇について「舞台と客席で立場が逆転しているところがおもしろい」と評されました。

 普段、活動の主導権を取る機会がなかなかない人々がスポットライトをあび、場と時間を自分のものとしている爽快さがあるとの意味だそうです。

 確かに舞台に立ち続けている女性は、ぎこちなさの中に不思議なゆるぎなさを感じました。その場面の「主役」であることを確信し、舞台で身につけた力が存分に発揮していると受けとめていいのではないでしょうか。

 舞台に立つと、練習した役割をやりおえないと降りることができません。普段感じることのない緊張感があります。

 しかし、演じている時、誰一人邪魔ができる人はいません。出だしがうまくできたら、もう自分のペースにのって活動することができます。自分が演じると、相手がそれにすぐに合わせてくれる。日常では感じることが少ない、人との掛け合いが成立します。そんなステージ上の一体感は、見る人を舞台に引き込む磁力となります。見る人の思いは、ステージに吸い寄せられ、演じるものの力となり、そして拍手で最高潮に達します。

 拍手によりわき上がった「やりきった」という思いは、心身に貯金されていくのでしょうか。本校の児童生徒は、学年をあがるにつれて、堂々舞台に上がるようになります。

 よく自信をもてと言いますが、舞台が与えてくれる力は自信の土台の一つのように思います。 学校内の教職員や普段お世話になっている福祉サービス事業所の方々だけでなく、町内の多くの方々から送られた拍手という「がんばったね」メッセージが、力を与えてくれるのでしょう。

 年改まり1月になると、高等部は現場実習に入ります。きっと力を発揮してくれることでしょう。期待大です。

作業学習 販売できない学習成果

隠岐養護学校長

赤山克司

 中学部や高等部で行われている作業学習については、「隠岐養護まつり」や高等部の作業製品販売会「岐楽市」の前後に説明をしてきています。

 「まつり」や「岐楽市」で販売することはできませんが、日々取り組まれている作業学習があります。

 環境整備、掃除、必要な物品の運搬がそれに該当します。その一例を紹介してみます。

 本校は校地の周囲にコスモスを植えています。秋になるとそれはみごとに咲きそろうのですが、冬を迎えると下の写真のように立ち枯れた状態になり、さみしさわびしさを感じさせてしまいます。

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 それを、高等部2年の男子生徒1名が、作業学習の時間に、自分のペースで日々抜いて、運んでという活動をくりかえしています。その成果が、下の写真です。美しいですね。

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 コスモスの枯れ草は、捨てやすいように一カ所に運ばれ、そして袋に詰められます。その活動量をしめす枯れ草の山が次の写真です。

kosumosu yama.jpg 草抜きのように、いつ終わるかわからない作業に取り組むことは、高校生も苦手としているものです。できる範囲で地道にコスモスを抜き、運び、袋に詰める。この作業は、生徒の働く技能の向上を図るだけではなく、美しい水辺づくりという形で、地域に貢献しているものと受け止めています。

 地域に貢献でき、生徒が見通しをもって取り組める学習づくりの大切さを改めて感じています。

 K君 ありがとう。あと少しおねがいします。

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