校長室の窓

校長挨拶

浜田商業高校のホームページにアクセスしていただき、ありがとうございます。
 本校は石見部唯一の県立商業高校として、昭和40年に開校し本年度で創立50年を迎えました。商業科、情報処理科の2学科から編成され、全校生徒244名の学校です。「開拓者精神」、「気魄と情熱」、「明朗・闊達」、「さわやか浜商」の伝統を受け継ぎ、勉学はもとより、部活動や生徒会活動などにも力を入れ、地域社会で活躍する人材の育成を目指しています。
 ビジネス教育の専門高校として生徒一人一人の進路実現を図り、地域の皆様、保護者の皆様から信頼され、愛され、支援していただけるように教職員一同全力で取り組んでいます。
 また、本年度は、校訓である「開拓者精神に徹し」の教えのとおり、失敗を怖れず何事にもチャレンジする姿勢を大切にして、教育課題に立ち向かっていこうと考えています。

                                   平成26年4月
                                  島根県立浜田商業高等学校長 浜崎 之義
 


 2014年度 校長室の窓
2015/03/24 平成26年度第3学期終業式

 過日、3年生を送り出したと思ったら、早いもので本日終業式を迎えることとなりました。この1年間は皆さんにとって、どんな年だったでしょうか。4月に立てたこの1年間の目標はどの程度達成されたでしょうか。皆さんにとって納得できる充実した1年だったでしょうか。自分自身に問いかけて、これまでの道程を冷静に振り返ってしてみてください。若い時の1年というのは大きなもので、人としての成長は手に取るようにわかります。いや、目に見えてわかるものでなければならないと思います。身体的な成長もそうですが、精神的な成長を大いに期待するところです。
4月になれば、新入生を迎えることとなります。皆さんは下級生より尊敬される立場となります。大切なのはただ単に年が上ということでなく、人として尊敬されなければなりません。具体的には「さわやか浜商生」としての振る舞い。勉強や部活動に対する意欲態度。そして、強調したいのが人に対する思いやりや寛大さです。そうした人との接し方について今日は少し話します。
先日、今年で50周年を迎えたTBSラジオの『全国こども電話相談室』が終了するという報道がありました。個人的に残念に思うところですが、これまでの質問の中から、歴史に残る“珍質問&名回答”が紹介されています。一つ紹介します。
【質問】大人になる時間は何時間ですか? (小3・女子)
【回答】あなたが大きくなって子供が産めるようになるのを生物学的な大人といいます。人の心がわかる、人の立場に立って自分を見ることができるようになったら社会学的に大人といいます。大人になるのはなかなか大変だよ。(住職・無着成恭さん)
聖徳太子の言葉で「和を以て尊しとなす」という言葉あります。人々がお互いに仲良く、調和していくことが大事なことであるという教えです。聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉です。自分の意見を押し通すだけでなく、相手の言い分にも聞き耳を立ててみてはどうか。心を開き、相手を理解しようとする姿勢が大切だといっています。人は得てして、自分の好きな、また、自分の考え方に近いものと集団を作りたがり、別の集団と差別化を図ろうとする傾向があります。また、同じ集団であったとしても意見の食い違いが生じると仲間を排除することもあります。時に、その考えが正義となり、恐ろしいことにそれが刃となることもあります。正義という名のもとに人を殺す。戦争を見れば分かると思います。人を殺すことが正当化されるのです。我々の普段の生活では人を殺すことはありませんが、自己主張が強すぎで相手を傷つけることがあります。君達の身近なところでもあるはずです。
ビブリオバトルで準優勝した榎一真君が紹介したやなせたかしさんの「わたしが正義ついて語るなら」の中にこういう話があります。「アンパンマンに正義があるように、バイキンマンにも彼なりの正義がある」。これもアニメからの引用ですが、クレヨンしんちゃんのお父さんである野原ひろしさんがこんなことを言っています。「正義の反対は悪ではない。もう一つ別の正義だ」。正義に絶対的なものはないのです。ちなみに、アンパンマンはバイキンマンを殺したりしません。ほどほどに、お灸を据えているだけです。そこには、相手を教え諭そうとする優しささえ感じられます。
年長者、大人だからこそ一回り大きい視野で相手を理解しようとする姿勢が必要となります。皆さんは、下級生からさすが先輩だといわれるよう心の広い人になってもらいたいものです。君達の頑張りを期待します。



2015/03/18 3年の教室

 卒業式後の3年教室。毎日笑い声の絶えなかった教室も今は静寂を保つばかり。主(あるじ)である卒業生を見送る黒板のメッセージや生花が寂しさを際立たせます。ふと見ると机の横のフックに誰かの忘れ物。最後まで忘れん坊のA君のものか。それがまたA君らしくて思わず笑ってしまいます。
この時期、主がいなくなった教室を見ると思い出すのがユーミンの「最後の春休み」。
「春休みのロッカー室に 忘れたものをとりに行った ♪
 ひっそりとした長い廊下を 歩いていたら泣きたくなった ♪ ・・・ 」
健気な乙女心を表現した名曲です。好きだった彼の机に座り、机の中にあるものをみつけます。グッとくると思います。
今の2年生が進級して3年教室を利用するまで、しばらくこの教室も休業状態。もう1ヶ月もすれば新しい主がまた活躍してくれることと思います。

1組

2組

3組
2015/03/09 T君のボランティアに感謝
 3年生のT君は2月の自主学習期間中、1日も休むことなく登校しました。校舎内外の清掃。不要となった物品の整理。時には先生方の仕事のお手伝い。T君のボランティアには感心しました。なぜ、彼がそこまでやってくれるのか?また、何が彼をそこまで突き動かすのか?社会人となるための準備?学校への感謝?彼にそれらを聞いてみたいと思いましたが、黙って見守ることにしました。一生懸命に取り組んでいる姿を見るだけで十分。そんなことは聞くだけ野暮なことと思いました。
よくボランティアは奉仕と訳されますが、微妙なニュアンスの違いを感じます。ボランティアのほうがより能動的自主的で、無償の行為の色彩が濃い。彼の活動は完全にボランティアです。ただ、奉仕の「仕える」という部分はどちらも同じか?「仕える」とは人のために誰かのため。それに「事」が付けば「仕事」。仕事とは本来自分のためでなく、自分以外の誰かのための行為と解釈できます。
 卒業生はすぐに就職する者、進学してもいずれ就職し「仕事」に就きます。「仕事」とは自分自身のため、とりわけ、飯のタネでもありますが、人のためにという部分があるということを知っていてほしいです。
 T君のボランティアに感謝。T君の活躍を祈ります。


2015/03/01  平成26年度卒業式 式辞
 校舎周辺では紅白の梅が咲きそろい、眼下の日本海から吹き渡る風にも春の暖かさが感じられる今日のよき日、平成二十六年度島根県立浜田商業高等学校卒業証書授与式を挙行いたしましたところ、ご多用にもかかわらず、PTA会長田中和実様をはじめ、多くのご来賓の皆様のご臨席を賜り、門出に華を添えていただきましたこと、高い席からではございますが厚くお礼申し上げます。
 また、卒業生の保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。今となっては「長いようで短かった三年間だった」としても、その時々で大変なご苦労があったことと思います。優しく見守り根気強くお子様の成長を支えてこられたことに対しまして深甚なる敬意を表します。さらには、本校の教育活動につきまして格別なるご理解ならびにご支援をいただきましたこと合わせまして感謝申し上げます。
 そして、ただ今、卒業証書を授与いたしました卒業生85名の皆さん、卒業、おめでとう。
 皆さんは「さわやか浜商生」のキャッチフレーズのもと、勉学に部活動、学校行事に青春のエネルギーを燃焼させ、輝かしい学校生活を築き上げてきました。
 特に学園祭ではテーマを”Make Happy Smiles Bloom”として、体育祭並びに文化祭において大輪の笑顔の花を咲かせてくれました。体育祭でのほとばしる汗には、見るもの皆、感動を覚えました。私は思わず、与謝野晶子の句「劫初(ごうしょ)より作りいとなむ殿堂にわれも黄金(こがね)の針一つ打つ」から引用したという校歌の二番の「黄金(こがね)の釘」を「黄金の汗」と喩えさせてもらいました。文化祭においてはレベルの高い歌声を披露してくれました。「友」に対するあるいは「学校」に対する思いが昇華され、優しく人を包み込む絶妙なハーモニーを奏でてくれたと思います。
部活動においては、本校の校訓でもある”学習と部活動の両立”を立派にはたし、体育系・文化系ともすばらしい成績を残してくれました。大会で負けて悔しかったこと。顧問の先生に叱られたこと。朝夕の送迎では感謝しつつも照れくさくて親に「ありがとう」と言えなかったこと。時には意見が合わず友とケンカしたこと。今は走馬灯のように思い出がよみがえっていることと思います。
 課題研究では学習の場を地域に求めた人もいました。地域の皆様の協力により、机上では学ぶことのできない貴重な体験をしたことでしょう。そこには、今まで気づかなかった新しい発見があり、そして、地域の方々に支えられていること、自分たちが守られていることを実感した人もいるはずです。「この町でこの地域で自分に何ができるか」。郷土愛といえは気恥ずかしいが、少しでもこの地域を思うのであればその思いを一生大切にしていってほしいものです。
 そして忘れてならないのは、二十三年ぶりに復活した浜商デパート。
 当初は来年度の創立五十周年記念事業に併せて実施する予定でしたが、卒業生や地域の方々からの熱い声援に後押しされて、一年前倒しでの開催となりました。文化祭が一日となったことは不満であったことでしょう。また、かつて実施していた「浜商デパート」は君達が生まれる前のことですので、全く実感がなく不安でいっぱいだったことと思います。準備の段階では意見がまとまらず、友人や先生方と気まずい思いをした人もいるはずです。しかし、デパート当日は好天にも恵まれ大盛況。今までの苦労も報われたと感じたはずです。来場者の多さに圧倒されつつも、お客様の笑顔を見るたびに達成感なり充実感を得たことと思います。「浜商デパート」の復活は浜商の歴史に残るものであり、君達にとっても一生忘れることのできない大切な宝物となったはずです。
 君達がこうした様々な教育活動により、本校の校風を一段と高め、歴史と伝統に輝かしい一頁を付け加え、「黄金(こがね)の釘」を打ってくれたことに、心から敬意を表します。
 さて、皆さんは就職や進学が決まってもそれは今後の人生のほんの一歩にしか過ぎません。ここで、皆さんの栄えある門出にあたり、「失敗から学ぶこと」について話したいと思います。
相対性理論で知られる物理学者のアインシュタインは「一度も失敗をしたことがない人は、何も新しいことに挑戦したことがない人である」といっています。この世で業績をあげた人、成功した人というのは、その功績の影に数限りない失敗なり挫折があることをいっています。何かに挑戦するということは、必ず失敗を伴うものです。失敗を怖れず、本校に受け継がれる「開拓者精神」をもって挑戦し続けてください。
 そこで大事なのが、失敗をしてくじけそうになった時、それを自分がどう乗り越え、それをどう人生に活かしていくかです。
 戦国武将でもある、徳川家康は生涯一度の負け戦「三方が原の戦い」後、その憔悴しきった姿を家臣に肖像画として書かせたといいます。戦に負け、敗走する際、脱糞までしたという屈辱の姿を忘れまいと絵にしたのです。家康は、負けの原因、失敗をしたことを、他人のせいにするのではなく自分のせいにしたのです。「責任を他に求めず」。自責(自分の責任)ではなく、他責(他人の責任)にする限り、同じ失敗は繰り返されます。「天才」信長、「秀才」秀吉と比較して家康は「凡人凡庸」であったともいわれます。どうして、凡人であった家康が戦国時代最後の勝者としてその後の徳川300年の礎を築くこととなったのか。それは「己」つまり「自分自身」、とりわけ「己の弱さ」を知り、忍耐強くあきらめずに時が来るのを待てたからだともいわれています。
 武士は花びらでなく花ごと落ちる椿を潔しとして好みました。家康には「三方が原の戦い」以外でも切腹を覚悟したピンチが何度もありました。しかし、絶対に腹を切らなかった。腹を切らなかったことが成功の秘訣であったのです。どんなに苦しくても泥臭く生きることを教えてくれる逸話です。多くを学んだこの椿ヶ丘。椿の潔さだけは見習うことはありません。たとえ失敗しても、「人生なげたらあかん」の精神を肝に銘じてください。
 最後に、友とともに学んだこの母校「浜商」に、時には想いを馳せ、心の拠り所にしてくれたら嬉しく思います。浜商は、皆さんの活躍をどんな時でも温かく優しく見守っています。ここ椿ヶ丘をあとにする卒業生八十五名一人ひとりが、これからの人生を、逞しく生き抜いてくれることを願い、式辞といたします。

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2015/02/24 椿咲く丘の舞い遊び
 今年も本校郷土芸能部主催「椿咲く丘の舞い遊び」を2月11日に開催しました。過去最高の300名以上の方々にお越しいただき、大盛況のうちに終えることができました。風の冷たさを感じつつも比較的穏やかな天候であったことも幸いしたと思っています。今年で七回目。この地域では恒例の行事として定着しつつあるとともに、遠くは広島県からもご来場いただき、本校郷土芸能部を支えていただく方々のすそ野が着実に広がっていることを改めて実感いたしました。
生徒たちは来場者の多さに一段とテンションが高まり、いつも以上に力の入った舞いや囃しが披露できました。感極まって涙した生徒もいます。ご来場の皆様に、感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。せめて、ホームページ上でお礼を述べさていただきます。
今年は、バスケットボール部がやきそば、バレーボール部が豚汁の屋台を準備してくれました。神楽を見て心を満たし、温かい食べ物でお腹も満たしてもらえたと思っています。普段、練習で使っている体育館を郷土芸能部に提供してくれた上に、こうした食事の提供までしてくれたことに感謝するともに、「チーム浜商」の固い絆を感じました。

  

 
2015/02/18  知事と語ろう!高校生フォーラム
 平成26年度「知事と語ろう!高校生フォーラム」が先日2月6日石央文化ホールにて開催されました。このフォーラムは平成21年度から始まり今年で6回目。島根県内4地区(松江、浜田、出雲、益田)を持ち回りで開催され、今年はローテーションの2巡目浜田地区での開催となりました。メインテーマは「学び育った地域の未来を考える」。石見地域の魅力や課題が議論の対象となりました。
 先ずはアトラクション。石見智翠館高校の吹奏楽および浜田養護学校の神楽。迫力ある演奏、渾身の舞が印象的でした。続いて高校生発表。浜田ろう学校、江津清和養護学校、浜田水産高校、江津工業高校、そして浜田商業高校から意見発表や研究発表がありました。本校からは3年課題研究での「三隅町の特産品を活かした地域活性に向けた取組」が報告されました。三隅町の特産品である柿を使った商品開発の発表です。地域と連携した取組は本校の得意とするところで、他校の先生方から「見習いたい。手本とさせてほしい」という講評をいただきました。そして、知事とのディスカッション。パネリストして本校からは元生徒会長の坂山君が参加しました。彼の主張のキーワードは「安心」。とりわけ、就職に関する「安心」。ブラック企業のない島根をアピールすべきだという主張は、山陰中央新報(H27.2.7付け)でも取り上げられました。
 このフォーラムを通してもっとも印象的であったのは、知事の話の中に「自分は高校の時に地域のことは意識できなかった。今の高校生のほうが地域のことをよく考えている」という言葉でした。私自身に置き換えてみても同様です。今の高校生のほうが地域(地元)のことをよく考え、自分ができることをしようとしているように感じます。こうした高校生がたくさん地元に残り、地域をささえることで将来への道が開けていくように感じます。よく「今の若者、今の高校生は?」と批判されることもありますが、決して捨てたものではないと強く感じました。



2015/02/10 ブタの眼球観察
 先日、2年生の理科の授業で「ブタの眼球観察」実験がありました。ブタの目を解剖するということで、デリケートな生徒はそれこそ目を覆ってしまうのではないかと思っていましたが、生徒諸君は概ね眼球を直視して実験に集中していました。眼球の一般的な構造を理解し、視覚が成立する仕組みが分かったことと思います。水晶体を取り出すと本当に水晶の如く透明なビー玉。新聞紙の文字の上に置くと大きく見えることが確認でき、「これがレンズなんだ」と実感できました。生徒にとってとても興味深い、貴重な体験だったと思います。
 ところで、ブタ、いや人間以外の動物全般において、近視や遠視、さらには緑内障や白内障等の病気があるのか疑問に思うことがあります。どんな動物にも人間と同じように眼球には個体差があるので、科学的に言えば屈折異常が生じ、その結果として近視や遠視は存在するはずです。とりわけ、老眼は目のレンズを調節する筋肉が弱って、近距離の焦点調節機能が衰える症状ですので、目のレンズを筋肉で調整する機構を持った生物は必ず老化による衰えがあると考えられます。もっとも、老齢になる前に多くのブタは食肉として出荷されることのほうが多いと思いますが・・・。
 私ごとですが、もう何年も前から遠近両用の眼鏡をかけています。また、最近、初期の緑内障との診断をうけました。本やパソコンを見ているとぼやけて見えることがあるのは、そのせいかもしれません。目は大切にしなければとつくづく思うところです。



 

2015/02/02 3年生自主学習期間
3年生の生徒諸君は学年末試験も終わり、ホッとしているところだと思います。また、これからの自主学習期間に何をしようかとワクワクしていることでしょう。
さて、この期間中にお願いしたいことがあります。それは読書をしっかりして欲しいということです。しかも、人生のバイブルにもなるような少し“堅い”ものを読んで欲しい。司馬遼太郎「竜馬がゆく」「坂の上の雲」、山崎豊子「大地の子」「不毛地帯」等、長編小説といわれる物理的にページ数の多いもの、また、ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」、石見神楽の原点でもある「古事記」等、深く考えさせられるものを読んで欲しい。ちなみに、「古事記」については、最近、池澤夏樹個人編集「日本文学全集01古事記」が出版されました。分かりやすく今風の言葉で現代語訳されています。また、脚注がすばらしい。むしろ、そこにこの本の価値を私は感じます。是非、こうした本にチャレンジしてみてください。二十歳までに読んでおいてほしい本はたくさんあります。本を読んで、人の考え方、生き方を学んで欲しいのです。また、そうした本を読むことによって“堅い”本を“読破”したという自信をついてもらいたいものです。
読書の効用はいろいろありますが、その一つに先人の知恵に学ぶというものがあります。それは、今後の君達の生き方の指針となるはずです。孔子の「学びて思わざるは即ちくらし、思いて学ばざるは即ち危うし」という姿勢を貫いてほしいものです。


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2015/01/26 自信は“先付け”で
今年も錦織圭選手が活躍しています。島根県民にとって誇らしい限りです。昨年8月の全米オープンで彼が発した「勝てない相手ももういない」という言葉が思い出されます。ちなみに、この言葉は昨年度の流行語大賞にもノミネートされました。正確には「勝てない相手ももういないと思うので、上を向いてやりたいです」。決勝進出を決めてからの発言であれば、当然のこととしてこれほど有名にはならなかったと思います。ベスト8に入った時の記者とのインタビューでの発言であったことが驚きです。自らを奮い立たせる気持ちもあったと思います。高いレベルのことを声にすることで自らにプレッシャーをかけ、結果を残すしか道はないという状況を作ったのです。かつてビックマウスといわれたスポーツ選手はたくさんいました。その多くがその発言によりバッシングされたと思います。彼の場合はそうしたことは一切なくなぜか爽やかさ、見方によっては健気さを感じます。謙虚、誠実な人柄だけでなく、13歳にして海を渡ったその経歴を多くのものが尊敬の眼差しで見ているからだと思います。その努力は生半可なものではないことは誰でも想像できます。彼の発言はいままでの努力や練習で培った自信に裏付けされるものでした。通常は試合に勝って自信をつける、つまり“後付け”が一般的ですが、彼の場合はこれだけやってきたので負けるわけがないという“先付け”であったわけです。
テニスの世界では全豪、全仏、全英、全米、この四つの大会で勝つことがもっとも評価されるものです。彼は必ずやってくれると思います。今日からの全豪オープンシード選手同士の戦いが楽しみです。ちなみに、私も若い時にテニスをやっていました。私の時代はボルグ、マッケンロー、コナーズ。日本では福井烈。ちなみに福井烈とは同学年で同じ大会に出たこともあります。遠い昔のニキビ面の高校生であった頃です。当時は木のラケットを使っていました。



2015/01/19 阪神大震災から20年
1995年1月17日午前5時46分、わずか15秒の揺れにより6434名の命が奪われました。重傷者は約1万人、被害家屋は約64万棟にも上りました。あれから20年、阪神大震災を知らない世代が成人式を迎え、神戸市民全体においても44%が震災を知らない世代だそうです。もちろん、君達高校生もマスコミや人づてでしかその震災を知る由がありません。当時、神戸の街を映し出すテレビの中継は戦時中の空襲(絨毯爆撃)を思わせる惨状でした。とりわけ、現代文明の象徴でもある高速道路の倒壊は、自然に対する人間の無力さ、安全神話の崩壊を意味するものでした。震災に対して我々人間が無防備であったことを思い知らされました。
今年は震災後20年という節目に当たり、震災で得られた教訓を後世に伝えるべく様々なテレビ番組が放映されました。神戸市長田区では震災に強い街づくりをテーマに復興事業がなされたようです。行政側と近隣住民との対立は大変なものであったようで、震災が人の心にも影を落とすことを改めて知ることとなりました。全国的にも耐震化工事が叫ばれ、学校、県市庁舎を始めとする公共施設はほぼ100%耐震化されています。テレビや携帯電話等で、緊急地震速報が流れるシステムもできました。しかし、大切なことは人の防災に対する意識です。厳密に言えば「防災」は不可能です。人ができることは、震災が起こった時に被害を最小にしようとする「減災」の意識です。阪神大震災でも、建物の下敷きになった人たちを助けたのは、警察や消防より近隣住民の方がはるかに多かったそうです。何かあった時にはお互いが助け合おうとする意識が「減災」につながっていきます。
私は大学が神戸のほうでしたので、友達や知り合いがたくさんいます。この震災で家を失ったものもいます。この1月17日が来るたびに、私は彼らを思い出します。
神戸の街は見た目当時の痕跡を残すことなく復興しています。ただ、教訓なり人の思いは風化させることなく伝えていかなければなりません。



 
2015/01/13 チョッパー登場
「また、このネタか」とうんざりしている人もいるかもしれません。食傷気味であることを覚悟の上で、中庭の池の最後のキャラクター(?)を紹介します。実は昨年の大晦日、テレビで『アニメ15周年記念「ワンピース エピソード オブ チョッパー プラス 冬に咲く、奇跡の桜」2014年特別版』が放送され、それを見て思い立ったところです。「ワンピース」史上最も泣けるエピソードをテーマとしたファンからも根強い人気のある作品です。この機会にチョッパーを紹介しないでいつやるのかという思いに駆られました。
「命名ルフィー」(8.18付)では19匹の鯉ファミリーと書きましたが、どうも20匹(数え方は折でした)はいるようです。この小さな黒鯉(写真 赤鯉の上に小さく泳ぐ黒鯉)を数え忘れていたかもしれません。動きが早く、ピントを合わせることが難しく、不鮮明な写真となってしまいました。
医者の道を志すチョッパーは育ての親であるDr.ヒルルクの「この世に治せねェ病気なんてねェ!」という意志を受け継ぎます。そして、チョッパーの有名な言葉「おれが“万能薬”になるんだ!何でも治せる医者になるんだ! だって、だって、この世に治せない病気はないんだから!!」は、どんなことがあっても努力して自分の道を切り拓くという強い意志を感じさせます。
人には限界はありません。自分の限界や、超えられない壁の原因となっているものは、他でもない自分自身の心です。
この言葉に勇気がもらえますね。



2015/01/08 3学期始業式
 皆さん、新年あけましておめでとうございます。こうして、生徒諸君並びに先生方が元気に新年を迎えられることをうれしく思います。
今年は干支でいうと羊年です。羊にちなんで何かネタがないか探していたところこんな話がありました。夜眠れない時に「羊が一匹羊が二匹」と数える話があります。どうして羊なのか子供の頃より不思議に思っていました。別に、牛でも馬でもいいのではないか・・・。調べてみるとどうも英語の単語からきているようです。寝ることつまり睡眠は「sleep」、そして羊は「sheep」。「l」と「h」の一字違い。英単語の語呂合わせという説があるようです。
また、「羊の皮をかぶった狼」「羊に虎の皮をきせたよう」ということわざに代表されるように、羊は弱いものの代名詞とされています。しかし、なかなかどうして、結構気性が荒かったり、貪欲なところもあります。例えば、同じ草食動物でも草の食べ方に違いがあります。牛は草の上のほうだけ、馬は草の真ん中あたりまで、そして、羊は下のほうまでしっかり食べるようです。しかし、貪欲というよりも、やはり食べ物を大切にする真面目な動物といったほうがよいかもしれません。
 さて、2学期の終業式の際に予告しておきました「三かくの教え」(汗をかく、恥をかく、物をかく)の「物をかく」について話します。「物をかく」、つまり文章を書くにはそれ相応のエネルギーを必要とされ、頭は緊張状態を持続しフル回転の状態になります。頭は使えば使うほど進化するもので、できればルーティーンワークではなく普段やらないことにチャレンジすることでより頭を鍛えることができます。文章を書くという作業は、作家でもない限り我々一般人にはどちらかというと非日常的なことですので、頭を鍛えるにはとても有効な手段となります。
また、頭にあることを活字にすることで考えが整理され、新たな考えが生まれてくることもあります。文章と文章との行間に新たな気づきを見出すことがあるからです。
 さらに、文章化することにより自分の考えを記録しておくこともできます。私は結構忘れっぽいところがあり、それを補うためによくメモをとります。付箋に書きとめておくことが多く、私の机の上は時々付箋だらけになることがあります。
最近、文章を書くことは健康にもよいということを知りました。成人病、女性の天敵でもある肌荒れ、便秘、冷え症にも効果があると順天堂大学医学部小林弘幸教授は指摘しておられます。詳しくは、その著書「三行日記を書くとなぜ健康になれるのか」を読んでみてください。「三行日記」を書くことによって自立神経を整えることができるそうです。主に心にブレーキをかけるといわれる副交感神経の働きを高める効果(逆にアクセルとなるのが交感神経)があると指摘しておられます。
「三行日記」で書くことは、次の三つです。
(1)今日いちばん失敗したこと(もしくは、嫌だったこと)
(2)今日いちばん感動したこと(もしくは、うれしかったこと)
(3)明日の目標(もしくは、いま一番関心があること)
寝る前に、(1)から(3)を順番通りに1行ずつでまとめれば、その日のうちに自律神経の乱れが修正され心と体の落ち着きを取り戻すようです。皆さんも「1年の計は元旦にあり」というように、今年のスタートにあたり挑戦してみませんか。
「羊」に「羽」が生えて「翔」。皆さんにとって「飛翔」の年になることを期待します。



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2014/12/22 平成26年度2学期終業式

 残暑厳しい中での始業式から始まった2学期も早いもので本日が最終日。ここに終業式を迎えることになりました。
 校舎周辺の草花も「サルスベリ」「キンモクセイ」「ツワブキ」と季節を重ね、ふと中庭に目を移すと色鮮やかに咲き誇る「さざんか」が冬の訪れを告げています。浜商の校舎周辺は四季折々の表情を見せ、我々に季節感を与えてくれます。先人が残してくれた宝物に感謝しなければなりません。
 さて、この2学期は盛り沢山の行事がありました。「体育祭」、「文化祭」、そして、23年ぶりに開催となった「浜商デパート」。どの行事も生徒の皆さんと先生方が一丸となって取り組んでくれたからこそ成功裏に終えることができたと思っています。保護者や地域の方々からそれぞれの行事に高い評価をいただきました。皆さんと一緒に喜びたいと思います。始業式で校歌の歌詞(与謝野晶子の句からの引用)について話しましたが、浜商の歴史に「黄金の釘」をまた一つ打ち残すことができたと思います。
 とりわけ「浜商デパート」では、3年生を中心に全校生徒が意欲的に取り組んでくれました。来場者数2,200名、売上220万、この数字は語呂合わせのような数字なっており、「浜商デパート」の記念すべき再スタートとして忘れることはないでしょう。浜田という人口の少ない地方都市にあって、また、久々の開催ということを考えあわせると大健闘だったと思います。来場者の多さに圧倒されつつも、さわやかな笑顔で接客することができたことに、君達は充実感なり手ごたえをしっかり感じたことと思います。前回開催は23年前。君達が生まれる前のことであり、過去の資料やノウハウも乏しい状態でのスタートでした。教員にとっても実質始めての開催でしたので、我々の指導も不十分で君達に不安な思いをさせたかと思います。また、君達の中には、意見がまとまらず気まずい思いをしたり、良かれと思ったやったことが誤解されたりすることもあったと聞いています。しかし、そうした経験も必ずや君達の血となり肉となり、そして君達の成長を支える「(樹木に例えれば)根っこ」となるはずです。大きな困難を乗り越えてこそ太い「根っこ」になります。
孔子の著した(実際には弟子が書き留めた)「論語」の一節に「学びて思わざるは即ちくらし 思いて学ばざるは即ち危うし」という言葉があります。君達の中にも、習ったことのある、また、習ったことがなくても一度は聞いたことがある人もいるはずです。「学ぶ」とは先生や書物から知識を得ることです。「思う」とは、自分の考え、自分の判断です。孔子の教えは、「教えを受けただけで自ら思考しなければ自分のものにならない。また、自分の思考だけでは独りよがりの偏った考え方になる」といっています。我々が生きていくということは何かを選択することの連続であり、それは自分で思考して判断しています。多くの場合、自分の経験(孔子のいう「思う」)に基づいています。しかし、すべてのことが経験できるわけではなく、誰でも限られた経験値しか持ちあわせていません。そうした際に「学び」が役立ちます。先人の教えは世間一般に正しいとされるものです。そして、先人の教えが自らの経験に基づくものであるとすれば、「学び」とは先人の経験を疑似体験することでもあるはずです。失敗を恐れず何事にも挑戦して経験値を高めるとともに「学び」を継続していく姿勢が求められます。
今回の浜商デパートのねらいは、学校で勉強してきたこと(「学び」)を実際の商売の場で試してみること(「経験」)でした。実際に自分でやってみると大きな気づきがあったと思います。失敗したら大損するかもしれないという真剣勝負だったので緊張感がありました。そうした本物の経験が君達を大きく成長させるものと信じています。
4月以降、「3かくの教え」を言い続けています。「汗かく 恥かく 物かく」。一生懸命に汗をかく。恥をかいてもいいから、挑戦し自分で経験してみる。そして、「物をかく」とは、文章を書いて自分の経験を書き留めて振り返ってみることです。この最後の「物をかく」については、3学期の始業式の時に話します。それでは、皆さんよい年を迎えてください。 


 
2014/12/15 千の風が吹く
 先日、12月3日(水)には歌手の秋川雅史さんが来校されました。秋川さんといえば、オペラ歌手、また、大ヒット曲「千の風になって」の歌手として有名な方です。今回はBS-TBS放送「おとなの修学旅行」の取材で浜商にやってこられました。
かつて学生であった時に修学旅行で訪ねた場所を時を隔てもう一度訪ねてみる。そこには、新たな発見があると思います。子供の頃に気づかなかったことも大人になって気づき感ずることが多々あります。そうしたことをテーマとした番組のようです。今回は、秋山さんがこの浜田を旅して「神楽」を楽しむということでした。
取材の中で、「神楽」は「オペラ」と通ずるものがあるとしきりにおっしゃっていました。「オペラ」での音楽と役者、「神楽」での囃しと舞いとの関係、さらには、演ずる側と聴衆との一体感はまさしく共通するものであると強調しておられました。
生徒は秋川さんの前で若干緊張しながらも渾身の舞いを披露してくれました。演目は「八衢(やちまた)」。秋川さんは天孫降臨の神話についても興味を示され、顧問のF教諭に熱心に質問をしておられました。
テレビで拝見する秋川さんは堂々としておられ、とても大柄な方かと思っていましたが、実際の秋川さんはとてもスマートで身長も175cmぐらいかという感じです。しかし、そのオーラは神がかっており、周囲に千の風を巻き起こすかのようでした。生徒のサインのおねだりにも嫌な顔一つせず、優しい笑顔で対応していただきました。最後は、多くの生徒に見送られ、まさに千の風にのって帰って行かれました。後悔したことが一つあります。「千の風になって」を歌っていただくようおねだりしたら了解してもらえたのではと・・・。
放送予定は、12月21日(日)19:00からです。ただし、BS-TBSです。浜商への訪問の様子は本校HP郷土芸能部のページにて掲載中です。



2014/12/09 師走
 12月は「師走」といいます。子供の頃、「教師が忙しくて走り回るから“師走”というんだ」と、学校の先生から聞かされたことがありました。いくら忙しいからといって先生自らがいうのは言い訳がましく思えるし、また、実際に走っている姿は見たことないと屁理屈をいう生意気な少年であった自分自身を思い出します。もっとも、浜商の先生方にはいつも忙しい思いをさせ、12月だけが特別に忙しいわけではないという声も聞こえてきそうですが・・・。
一般的には「師僧 お坊さん」のことをいっているようです。昔は正月も盆と同じように祖先の霊を弔う月でした。「お経」をあげるため、お坊さんがあちこちの家々を忙しく走り回ったのが語源だという説が一番支持されているようです。「師」という言葉の意味から転じた語源の他に、「四極(しはつ) 四季が果てる」「為果つ(しはつ) 為し終える」「年果つる(としはつる) 年が果てる」など「果てる 終わる」という言葉から転じたものとする大きく分けると二通りの説があるようです。
さて、そのお坊さんの「お経」に関して、葬式や法事の際に死者を弔うために読まれるものと誤解されています。キリスト教の場合は、死者を弔う歌として「レクイエム」というものがあります。確かに、「お経」も葬式や法事の際にその存在を再認識しますが、そうした機会のためだけにあるのではありません。「お経」は仏教の経典つまり教科書であり、人の生き方、心の持ちよう等、我々が生きる上での指針となるものです。別に仏教徒でなかったとしても、哲学書として読んでもおかしくないものです。「お経」の中でも「般若心経」はもっとも有名です。漢字256文字しかない「お経」の中に人生訓が盛り込まれています。とりわけ、私が大切にしている言葉は「色即是空 空即是色」です。
今回は、この言葉の意味には触れませんが、特別に意識しているものです。それについては、また別の機会にお話ししたいと思います。


2014/12/01 皇帝ダリア
最近、竹の花を見つけ、これは二度と経験できない希少なチャンス到来と一瞬思いました。竹の花は60年に一度あるいは100年ともいわれるように、めったに見ることができないものです。また、竹の花が咲くときは不吉なことが起こるともいわれたりします。風水害、地震等の天変地異の前兆とされることもあるようです。
しかし、よくよく調べてみるとこれは皇帝ダリア。公私とも今年は不幸が続き、また良からぬことが起きるのではと心配したのですが、どうも私の取り越し苦労で終わるようです。残すところ今年も一か月。私の勘違いということで、不吉なことは起こらないと思うのですが・・・。
今年はこの花をよく見かけます。浜商の近辺では椿坂を降りたところに庭木として植えておられるところがあります。茎の部分は竹そのもので、比較的高い位置にピンクの花を咲かせます。その美しさは正に皇帝で、これでもかという存在感を示しています。
少し調べてみました。成長するとその高さは4mにもなることから「皇帝」という称号がついたようです。日が短くならないと花芽ができないので、開花期が遅く11月下旬から12月上旬に花が咲きます。近くに街灯や電灯があると日が長いと感じ、花芽をつけないので注意が必要なようです。
花言葉は、「乙女の純潔」「乙女の真心」。さて、浜商の乙女(女生徒)たちも、皇帝ダリアのように自分なりの美しい花を咲かせてもらいたいものです。

 
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2014/11/26 浜商デパート(11/16)
16日(日)の浜商デパートでは約2200名の方々に御来場いただき、盛況のうちに終えることができました。関係各位に感謝申し上げます。
なにせ、23年ぶりの開催ということで現存する当時の資料も乏しく、また、企画運営に携わった教員もほとんどいない状態からのスタートでしたので、本当に開催できるのかという不安感でいっぱいでしたが、保護者の方々、卒業生会、また、地域の方々の協力得てなんとか無事に終えることができました。失礼の無いよう準備してきたつもりですが、早々に商品が完売したり、食券の販売では長時間並んでいただくなどご迷惑をかけたことが多々あったと思います。来年度以降、地域の方々に喜んでいただけるよう改善を図っていきますので、忌憚のないご意見をお寄せいただけたらと思います。
さて、この浜商デパートの復活ですが、主に二つの目的があります。一つ目は、これが学習の場であるということです。生徒は普段「商業に関する知識技術」を身につける学習を行っています。ただ、そうした知識技術の定着を図るには、教室で行っている学習だけでは限界があります。教室で習ったことを現実のビジネスの場で生かし実体験してこそ学習効果が高まるものと考えます。従来から「課題研究」の科目においては、積極的に地域とかかわり体験学習を取り入れていますが、特定の学年または科目という限定的な取り組みでした。今回は、今まで以上に地域と連携し、また、全校生徒が一斉に取り組むということでより意義深いものとなりました。
二つ目は、「ブランディング」。つまり「浜商ブランド」の構築・強化です。23年前の浜商デパートは多くの方々から支持され、「浜商ブランド」は確固たる地位を築いていたと思います。そのブランド力のおかげで学校への信頼感は高かったのではないでしょうか。今も信頼感は無くなったわけではないと思いますが、時に「浜商がんばれ」という叱咤激励をいただくこともあります。そうした声に応えるための浜商デパートの復活でもありました。地域に愛され、地域に必要とされる学校となるためには、どうしてもブランド力が必要となると考えています。現在、「さわやか浜商生」という言葉に象徴されますように、本校生徒のマナーは手前味噌ではなく浜商の誇れるものの一つになっています。浜商デパートも浜商のブランド商品となるよう取り組んでいきたいと思いますので、今後ともお引き立てのほどよろしくお願いいたします。





2014/11/16 文化祭挨拶 石央文化ホール(11月15日(土))
 今年の学園祭テーマは「Make Happy Smiles Bloom ~笑顔になぁーろう☆~」。その言葉のとおり、君達一人ひとりが笑顔の花を咲かせてくれることを願っています。そして、文化祭テーマは「Dignity ~刻もう思い出の時間~」です。校歌の1番に「人間の内なるものの尊さを共に護りて」というフレーズがあります。校歌を意識してのテーマ設定かわかりませんが、dignityとは「尊さ、威厳、気品」を意味します。それに、selfをつけると「self dignity」自尊心となります。人としてまた浜商生として自尊心を持ち、堂々と自己表現してもらいたいと思います。
生徒会執行部においては、この日のために準備をしてきたことと思います。皆さんの労苦に対して感謝します。お疲れ様でした。クラス対抗の合唱コンクール、および各文化部のステージ発表、また、ホールでは文化部、各種委員会の展示。どれもこれも楽しみです。一生懸命に準備をしてきた君達全員に対して敬意を表します。
さて、文化祭の意義とは何でしょう。普段の学校の授業では、知識、教養、技術の習得。また、思考力、判断力、表現力の育成が目標となります。一言でいえば、知性を高めるということです。人にとって大切なものは、この知性ともう一つ感性です。いくら知識があっても、それを毎日の生活、また、ビジネスに生かすことができなければ意味がありません。既得の知識を如何に生かすかはその人の感性に左右されます。感性とは、「すごい、おもしろい、うれしい、心地よい、悲しい、くやしい、何か変だな」等々、物事に感じる力です。よく、あの人はセンスがいいと言ったりします。それは、感性の豊かな人のことをいっています。そうした人は、人に受け入れられるように既得の知識や教養を上手に料理する創造的な営みが上手な人です。とりわけ、ビジネスの世界では、ただ単に知識を再生するのではなく、それを上手にアレンジすることによって、新たなそして付加価値の付いたものへ変換していく力が必要となります。
この文化祭は、感性を磨く絶好の機会だと思います。
もうすでに、君達は合唱練習において感性を磨いています。もとをただせば、一つ一つの音にすぎない声にリズムを加え、それにメロディー付け、さらには声を重ねることによってハーモニーを奏でる。また、練習の最中、「もう一つ何かが足りない」と違和感を覚え、声の強弱、テンポ等どう修正したら気持ちよく聞こえるかを模索してきたはずです。こういう営みが感性を磨くこととなります。展示も同様、どのようにしたら人に感動を与えられるか試行錯誤し、工夫してきたことと思います。
私も君達の感性を受け止められるようしっかりと見て、また聞きたいと思います。
皆さんの健闘を祈ります。

追記
たくさんの保護者及び一般方々に来場いただきありがとうございました。
また、16日(日)の浜商デパートにも続いてのご来場に感謝いたします。
浜商デパートについては、お礼含めて次回記述させていただきます。




2014/11/10 セイタカアワダチソウ
 今回は、ツワブキ同様、黄色い花を咲かせるセイタカアワダチソウの話です。しかし、こちらはどちらかというと歓迎されない花です。私の個人的な見解ですが、陸のブラックバスと言ってもよいのではと思っています。
 この花は、ブラックバス同様、北アメリカ原産の外来種です。他の植物の成長を抑える物質を放出して土壌を汚染し、在来種のススキ等その土地に繁殖する植物を駆逐する悪評高き植物です。また、秋の花粉症の元凶にもされているようですが、これに関しては事実に反するという指摘もあります。
 日本では侵略的外来種という定義がなされている生物がたくさんいます。動物ではヌートリア。魚ではブラックバス、ブルーギルが有名な所です。また、今夏デング熱の流行で話題になったヒトスジシマカもこれに該当します。
ブラックバスについては、山陰の河川においてもアユやワカサギ等の日本固有種が捕食される被害が報告されています。もともと北米より食用として移入されたにもかかわらず、今では趣味レジャーとしてのルアーフィッシングの対象魚となっています。釣り人は、キャッチアンドリリース(釣っても生きたまま放流すること)を繰り返し、時には、生息していない池や川に放流することもあるようです。今では全国どこでも釣ることのできるゲームフィッシングの対象魚です。あと50年もしたら、アユの塩焼きやワカサギの天ぷらが食べられなくなるかもしれません。
ただ、こうした生物たちが悪いわけではありません。もともとの生息地域を無視し、その境界線を無きものにしたのは人間です。結果として生態系を破壊したのは、間違いなく人間であり、とりわけ、日本のこの環境においてはわれわれ日本人に責任があります。
日本の美しい自然、山里の豊かな環境を守っていく必要があります。自然が破壊されれば、人間もいずれ滅びる。山陰の海も決して安心してはおられません。浜田名産「どんちっち」がいつまでとれるか先行き不安です。あのおいしいノドグロも食すことができなくなるのかも。
アメリカの先住民族の言い伝えにこういう言葉があります。
 「自然は先祖からの贈り物ではなく、子孫からの預かりものである」
次の世代のために我々が取り組まなければならないことがあるはずです。
(セイタカアワダチソウから話がかなりそれてしまいました。悪しからず。) 



2014/11/04  ツワブキの花
校門周辺では黄色いツワブキの花が真っ盛り。光沢のある緑色の葉と黄色い花のコントラストがとても美しい花です。漢字では「石蕗」と書き、石の上に生息する蕗(フキ)という意味です。正確には、岩や石などの僅かな隙間でも生きる花。とても生命力の豊かな植物です。海岸の岩場でも見ることができ、釣り人には馴染みの花でもあります。
浜商の校舎があるこの地は、岩盤が固く掘ればすぐ石に当たります。前回「栄光の記憶」の下調べとして記念誌を読んだ際に知りましたが、今ある校舎下の岩盤は固く、大変な苦労があったようです。グランドは出来たものの石だらけ。浜商1期生の体育の授業は石拾い。下校時には、一人30個の石を拾うことが日課であったようです。また、中庭の池(ルフィーやシャンクスがいる池)を作るための掘削工事に際し、コイを飼うには1mぐらいの水深が欲しいが、50cmしか掘れなかったと記述されています。周りを見渡せばどこでも石ばかりという「石見」の語源通りの土地のようです。
花言葉は「謙譲・困難に負けない」。特に、石見人(まだまだ私は石見人になりきっていませんが?)にとっては、「困難に負けない」という言葉に共感を覚えます。「石を見る人」と「石に咲く花」、ともに「石」という言葉に共通点が見られます。「意志(いし)」(石にひっかけたつもりですが?)の強さという石見人の気質にも関係しているのでしょうか。花にとって恵まれない環境、とりわけ山陰海岸の厳しい風雪にも耐えることのできる生命力たくましさ。私には、何らかの影響を石見人に与えているように思えます。いずれにせよ、石見を象徴する花に間違いありません。
ちなみに、「津和野」は石見の地を代表する町です。「津和野」(つわの)は昔、石蕗(つわぶき)が野に群生していたことから「石蕗の野」と呼ばれ、これが転じて「津和野」となったという説もあります。


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2014/10/27  栄光の記憶
8月以降、ホームページのトップでは、本校が甲子園に初出場した時の様子を紹介する写真をご覧いただいています。セピア色に変色した写真がより懐かしさを感じさせます。セピアとはもともとイカ墨のことです。墨のかすれ具合と白黒写真の色調の変化を重ねあわせたものと思われ、古くなったものの象徴的な表現となっています。今は、デジタルの時代ですので、画質が変質・変色することはありません。どちらがよいかわかりませんが、アナログのしかも白黒写真も悪くないものです。特に、時間の経過とともに茶色になった写真は味わい深いものです。
甲子園での活躍だけでなく街頭パレードの写真もあり、本校の活躍を浜田の町全体で祝っていただいた様子が伝わってきます。写真はセピア色になったとしても、思い出(記憶)は色あせることはありません。とりわけ、関係者の方々には思い入れの強いものであるはずです。
記念誌を紐解くと、次のように記述されています。
「中林投手を擁して2年連続甲子園出場を果たした優勝候補随一といわれた松江商業高を相手に2対0で甲子園出場を決めた。」
「島根県大会5試合を通じチーム打率は1割6分6厘、長打は二塁打の一本だけという貧打だったが24安打のうち19安打が得点にからんでいた。守っては5試合で1失策、失点は江の川高に1点を与えただけに過ぎなかった。」
好投手井田投手を中心に、守り勝つ野球に徹しての甲子園出場でした。派手な打撃戦もおもしろいですが、高校野球は守りからといわれます。浜商伝統の守り勝つ野球はここにあったのかと思いました。




2014/10/22  いい言葉探し ~感性を磨く~
先日、学校図書館から「風が強く吹いている」(三浦しをん作)という本を借りて校長室まで持ち帰ったところ、1年生のSさんが私を追いかけるようにして校長室に入ってきました。
「校長先生、ちょっとその本いいですか。調べたいことがありますので、見せてもらっていいですか」
呆気にとられて、私は少し様子をうかがっていると、やおら必死になってページをめくって何か探し始めます。ページをめくる最中、聞いたところ、新潮文庫主催「ワタシの一行大賞」へ応募する言葉を調べているとのことでした。夏休み中に読んで感動した言葉があるのだが、その言葉を正確に知りたいとのこと。5分ぐらいかかったのでしょうか、ようやくその言葉が見つかり、一安心した様子。
退出の際、わたしが呼び止め、
「三浦しをんは好き?私も好きだよ。特に、ほら何だったっけ。辞書を作るやつ」
「それ舟を編むです」とさわやかにこたえる姿がとても印象的でした。
その時、私はあることを思いつきました。
よし、彼女のお気に入りの言葉を探してやろう。
自分の感性と彼女の感性との狭間を彷徨しながら、付箋を片手に言葉探しを始めました。読み終わると、10ぐらいの言葉に付箋がついていました。そして、ある程度の確信をもって、この言葉を選びました。
その言葉とは、
「きみたちは十二分に練習を積んでいる。あとはプレッシャーをやすりに変えて、心身を研磨すればいいだけだ。予選会でうつくしい刃になって走る自分をイメージして、薄く鋭く研ぎ澄ませ」(清瀬が箱根駅伝予選会前に部員に対して発した言葉)
しかし、彼女のお気に入りの一行は、私が付箋をつけなかった次の言葉でした。
「ずっと凍りついたままだった胸に小さな日が灯ったのを感じる」(清瀬から“君を信じる”と言われた時の蔵原の感情)
他人から信頼されていることを実感できたとき、人は誰でも無上の喜びを感じます。おそらく、Sさんにも昔、同じ思いをした経験があったのでしょう。確かに、この言葉には人と人との信頼を感じさせる強さがあります。この言葉を見過ごした自分に若干の悔しさを感じました。
残念ながら私の読書における“新しい試み”は“彼女の一行”を探し当てることはできませんでしたが、こうした読書法も楽しいものでした。ストーリーを楽しむだけでなく、読者の琴線にふれる言葉探しという二つの楽しみをもたらしてくれました。後者の楽しみは、自己の感性を磨くことにつながるものと思います。
ちなみにこの本は、長距離未経験の素人学生が箱根駅伝で活躍するストーリーです。今年度の予選会は10月18日に行われ、来年1月2日の本選に出場する大学チームが決まりました。



2014/10/14 理科の実験
10月4日(土)は本校のオープンスクールということで、たくさんの中学生諸君が来校してくれました。今回は、“素の(日常の)浜商”を見てもらうため、全クラスの授業参観および部活動体験(見学も含む)を計画しました。
私も中学生諸君と一緒に各教室を回ったところ、幸運にもS先生(理科)のおもしろい授業を見学することができました。
理科の授業において、具体的な体験を通して自然現象を理解することはとても大切なことです。今でも思い出すのは、小学校の頃(中学生だったかも?)に行った「水素の爆発実験」。マッチをつける時のドキドキ感は忘れることができません。
 今回の実験は、「エチルアルコールの爆発実験」でした。
手順は次のとおりです。
① スチール缶へ1mlのエチルアルコールを入れ、薬包紙と輪ゴムでふたをする。
② 手で3分間温める。
③ 姿勢を缶より低くして、缶下部にある着火口へマッチの火を近づける。
 液体が揮発して気体になると爆発しやすいことを理解するための実験です。ガソリンスタンドに静電気を除去する装置があることにも触れられ、身近なところで起こりうることを強調しておられました。
論理的な思考、科学的な見方や考え方を養い、それを社会生活で生かすことが理科授業の目的の一つになっています。理科は難しい、とっつきにくいなどと、いわゆる「理科離れ」なる現象がありますが、これを解決していくためには「なぜ、どうして」「すごい、びっくりした」等々、生徒の感性を基底にした授業展開が大切だと思います。「論理・科学」と「感性」は対極的なもののように思われますが、人が学ぶ際には共存させなければなりません。そのために、実験実習は有効な手段と考えます。
S先生には4月以降、たくさんの実験実習を行ってもらっています。オープンスクールで来校した中学生諸君にも理科授業のおもしろさが伝わっておれば幸いです。




2014/10/07 キンモクセイ
10月に入り、中庭周辺ではキンモクセイの甘い香りが漂っています。その香りは、不思議な懐かしさを帯びています。ただ、洒落っ気の旺盛な私としては、トイレの芳香剤を連想してしまいます。子供の頃、我が家にあった油断をするとオツリをもらってしまいそうな汲み取り式のトイレ。そこに存在感たっぷりにあったような・・・。しかし、ここは素直にこの香りを嗅いでみると、自分の世界に導いてくれる誘いの香りとなるはずです。とりわけ、秋の夜長でもあれば、凡慮であったとしても、心静かに自分自身を見つめなおす機会が得られるはずです。
花言葉は「謙虚」。オレンジ色の花の存在より先に、さりげなく自己の存在を周囲に示すところに由来しているのだと思います。「謙虚」といえば、「実るほど頭をたれる稲穂かな」という言葉が思い浮かびます。私も五十路を過ぎ年だけは重ねていますが、未だその域に達してはいません。「謙虚」になれば、見えなかったことも見えてくることがあります。分かっているけどそのハードルは結構高く、自分の弱さ、自分への自信の無さを隠そうと大きな鎧をまとうことがあります。結果として、つまらないことにこだわったことを後で後悔することは頻繁にあります。
ただ、少し立ち止まり、自分を見つめ直すことができる人は、「謙虚」になれる素質は持っていると思います。自分自身を見つめ直すことから解決しなければなりません。
私もこれからしばらく、朝夕、キンモクセイの前に座してこの香りを嗅ぎ、自問自答しようと思います。



2014/10/02  「赤髪のシャンクス登場」
 先日、中庭で生徒がコイに餌をやっている様子をうかがっていると、「あれがルフィか」という声が聞こえてきました。「校長室の窓」に出てくるルフィが浸透しつつあることをうれしく思いました。今日は赤髪のシャンクスの登場です。
ワンピースの第一話にこんな話があります。
 ゴムゴムの実(食べることにより手がゴムのように伸びる能力を得る。但し、その能力は武器ともなるが同時にハンデを背負うことにもなる。)を食べて泳げなくなってしまったルフィは、山賊によって海へ投げ捨てられます。そして、海の怪物に食い殺されそうになったところを赤髪のシャンクスに助けられますが、シャンクスはその代償に自身の左腕を怪物に食いちぎられてしまいます。そこにシャンクスのこんな言葉が出てきます。
「安いもんだ 腕の一本くらい・・・ 無事でよかった」
このことをきっかけに、ルフィは命の恩人であるシャンクスの恩に報いるため、海賊王を目指して大航海への旅に出ることとなります。まさに第一話に相応しいストーリーの肝となる話です。
 自分を犠牲にルフィを助けるという行為は、ただただ仲間であるルフィを救いたい、その思い一心でした。行為そのものは誰にでも出来るものではありませんが、「自分自身が誰かの力になりたい」という思いは、大なり小なり誰でも抱いたことがあると思います。例えば、家族、友人、恋人に対して。
一方で、誰かに「助けてもらった」あるいは「守ってもらった」という経験もあると思います。少なくとも、母親は子供が生まれてくる時には自らのお腹を痛め、危険を顧みず、我が子を産んでくれたはずです。その親の恩に報いるには、一生懸命に今この時を生きるしかありません。そして、時々、声に出して感謝の気持ちを伝えることが必要だと思います。恩という字は、口の中に「大」、その下に「心」が書かれています。「口」を「大」きくあけ、声を「大」にして「心」を伝えて欲しいものです。
写真のコイを赤髪のシャンクスと命名します。
 
 
赤髪のシャンクス
 
ルフィとのツーショット

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2014/09/29  「見上げてごらん夜の星を」
9月に入ってから音楽の授業では、この歌が教材になっているようです。哀調を帯びてどこか懐かしく、そして、明日に向かって頑張ろうとする強い意志を感じさせる作品です。N先生のバリトンの響き。少人数ながらも元気あふれる生徒の歌声との絶妙のハーモニーが校内をやさしくつつんでいます。ヒーリング効果満点で、癒された気分となります。
この歌は戦後の高度成長期に集団就職で上京した若者がテーマになっています。働きながら定時制高校に通う男子生徒。ある時、教室の机を通じた文通をきっかけに昼間部に通う女子生徒と交流することとなります。そして、お互いの夢を語り合い、そして、ささやかであったとしても小さな幸せを手にしたいと思うようになります。
この歌が流行った1960年代前半は、日本はまだまだ貧しかった時代です。しかし、皆が夢に向かって頑張り、そして、多くの者が夢を実現させること(ささやかであったとしても)のできた、ある意味では日本の一番よき時代でした。
生徒諸君の中には、東日本大震災復興の応援ソングとして知った人もいるかと思います。当時の世情と被災された方々の思いが重なるところがあるということで、この曲が選ばれたと思います。この歌を歌ったのは、「上を向いて歩こう」「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」等のヒット曲で有名な坂本九さん。多くの者に元気と勇気を届けてくれた歌手でした。
その坂本九さんは、1985年8月12日、日航機墜落事故によりご自身が夜の星となってしまわれました。合掌。

 見上げてごらん夜の星を 小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せをうたってる

見上げてごらん夜の星を ボクらのように名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる

手をつなごうボクと おいかけよう夢を 二人なら苦しくなんかないさ

見上げてごらん夜の星を 小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せをうたってる

見上げてごらん夜の星を ボクらのように名もない星が 
ささやかな幸せを祈ってる



2014/09/24  コミュニケーション能力 初歩の初歩

今年も高校生の就職試験が16日より始まりました。高卒求人倍率はアベノミクス効果もあり、7月末時点で1.28倍、リーマン・ショック前の2008年以来6年ぶりに1倍を超え、いわゆる「売り手市場」との報道がなされています。ただ、「いい人がいれば採用する」というスタンスの企業もあり、堅調な倍率を鵜呑みにすることはできません。ここ数日、生徒は先生方を面接官に見立て、一生懸命に面接練習を行っています。内定を勝ち取るために、最大限の努力をして欲しいものです。
さて、企業が生徒に求める資質の中で最も重要視しているものは、コミュニケーション能力といわれています。兄弟の数が減ったり、核家族化、また、テレビゲームやネットなど屋内で遊ぶことが多くなったことを反映して、子供たちの人と接する機会は減少しています。また、家庭に限らず学校においても、少子化の影響から学校規模が小さくなり、子供同士が切磋琢磨する機会は昔と比べれば随分減っています。1学級50人ぐらいいた私たちの世代とは隔世の感があります。子供の頃から人と接する訓練が不足し、人と交わることを煩わしく感じる人が増えているように感じられます。
企業ではほとんどの場合、個人ではなく組織で仕事をすることとなります。職場の仲間とコミュニケーションを図り、時には、自分の考えを自制しなければならないこともあります。入社後が一つの試練であることは間違いありません。せっかくあこがれの企業に入社できたのに、職場の人間関係を理由に辞めるなど、本当に、残念なことです。
ところで、そのコミュニケーション能力とはなんでしょうか。能力というと何か特別なものを感じさせるのですが、実はそんなに難しいものではないと思います。以前、ある会社の社長さんとお話をさせてもらったことがあります。新入社員は仕事が分からなくて、また、出来なくて当たり前。これだけ心得ておけばよいとのことでした。
 「分からないことは、分からない」という
 「失敗したら、ごめんなさい」という
恥ずかしいなどと思わず、「分からない」ことは周囲に聞く。仕事でミスをしたなら、素直に「ごめんなさい」と謝る。この二つだけを意識して仕事をしなさいとのことでした。そういえば、今春、岐阜県の高校で自分のミスでバスの手配ができずに、旅行代理店の社員が生徒を装い「遠足を中止しないと自殺する」という内容の手紙を学校に送るという事件がありました。「ごめんなさい」がいえれば、こんなことにはならなかったと思います。4月以降、一貫して「三かくの精神 ~恥かけ、汗かけ、物をかけ~」といっています。恥をかく経験も大切です。



 2014/09/16  夏の終わり
 豪雨災害、デング熱等、かつて経験したことのない災禍に見舞われた夏が終わろうとしています。地球温暖化をはじめとする地球環境の変化に起因するともいわれていますが、詳細はよくわかっていないのが現実です。ただ、校舎周辺の環境は例年通りの時の流れを刻んでいるようです。
夏を象徴する花でもある「ヒマワリ」「サルスベリ」は、ご覧のように我が天寿を全うしようとしています。自らの役目を終え、次の世代に命のバトンを渡すこととなります。「ヒマワリ」は、漢字で「向日葵」と書きます。太陽に向かうアオイ科の花を意味しています。花の終わりを迎えると向きが太陽ではなく地面に向かい、種を地面に蒔こうとする姿がとても健気で哀愁を感じさせてくれます。「サルスベリ」は、樹皮がツルツルしていてサルもすべってしまうところからきています。ただ、実際にはサルは楽々と渡っていけるそうです。漢字は「百日紅」。百日間、紅い花を咲かせるところからきています。
「ヒマワリ」の花言葉は、「私はあなただけを見つめる」。何とロマンティックなことか。ほとんどの人が恥ずかしくてなかなか言葉にすることができないでしょうが、一度は「言われてみたい」あるいは「言ってみたい」という想いはあると思います。近い将来、良き出会いがあり(すでに出会っているかも?)、生徒諸君がそうした恋を経験する時が来ることでしょう。
「サルスベリ」の花言葉は、「雄弁」。韓国ではこんな伝説があるようです。ある王子が恋人に百日後の再会を約束して旅立ったものの、帰ってみるとすでに恋人は亡くなっており、埋葬された場所からこの木が生えたというものです。「ヒマワリ」と違って、こちらは少し悲しい話ですね。




 
 2014/09/08 團伊玖磨氏はBGM嫌い
 始業式の際には、校歌の2番の歌詞に俳人与謝野晶子の短歌「劫初より造り営む殿堂にわれも黄金の釘ひとつ打つ」が引用されているという話をしました。今回は曲についてです。
作曲者は、いわずと知れた日本を代表する音楽家、團伊玖磨氏です。團氏の楽曲は、交響曲、オペラ、歌曲等いわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽等多方面にわたります。学校の校歌も多数手がけ、本県においては浜商だけでなくお隣の浜田高校も手掛けておられます。
執筆活動も多彩で、随筆『パイプのけむり』は有名です。同じく随筆『音楽の小径』で、團氏がこんなことをいっています。「僕はBGMというものを好まない ・・・ 金儲けのために、誰かがああいう音楽のテープをつくり・・・音楽というものは、始まりがあって、中途があって、終わりがある事で成り立つ芸術である・・・BGMにはその大切な形が無視されている」。また、文学に例えるならと断ったうえで、川端康成の『雪国』の冒頭「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」が「ンネルを抜けると雪国であ」になるといっています。極端すぎるような気もしますが、それほどBGMを嫌っておられたようです。
我々は、何気なくBGMを聞き、特にサビの部分だけで心地よさを感じたりします。そして、多くの者は作品を作る際の血の滲むような努力や作曲者の思いにまで推し量ることはしません。私も、曲を切り貼り(好いとこ取り)してBGMに使ったことがあります。その行為が、作曲者を冒瀆することにもなると教えられました。
BGMだけでなく、人の評価も同じものを感じます。その人の特定の部分だけを評価して決めつけてしまうことがあります。その人の人格を切り取りしているかもしれません。交響曲が4つの楽章によって一つの作品となっているように、人も様々な顔をもっています。特定の顔だけを評価するのではなく、複数の顔を総合的に評価することが大切です。そうすれば、嫌いと思い込んでしまっていた人も、意外に自分と馬の合う人であったと再発見することもあると思います。部分ではなく、全体を見る力を身に付けなければならないと思います。




 2014/09/03 浜商体育祭
 心配されていた天候も生徒諸君の行いがよかったのか、雨に祟られることなく無事終えることができました。私にとっては初めての浜商体育祭でしたが、何点か驚くこと、また、感心させられることがありました。
 まずは、保護者を中心とした見学者の多さ。駐車場係の集計によれば、来場車は約140台。見学者は一般席テントに入りきらない数にのぼっていたので、正確ではないですが300名ぐらいの方が来校されたことと思います。平日にもかかわらず、生徒の応援に駆けつけていただいたことに感謝いたします。競技中のわが子に声掛けしている姿は微笑ましいものでした。親子共通の思い出となったことと思います。
 また、恒例の部活動対抗リレー。各部が趣向をこらしてアピールをしてくれました。神楽の面をかぶったまま全力疾走(「転んで面が割れたら困るんだが・・・」)。キャッチャーの送球練習(「大会前なのに膝を痛めなければいいのだけれど・・・」)等々、ハラハラさせられることもありましたが見事なパフォーマンスだったと思います。後で思ったのですが、各部のパフォーマンスを評価して賞状の一つでもあったほうがよかったかと思いました。
 さて、今年の体育祭テーマは、「Pride ~浜商生の意地~」でした。どういう意地を発揮してくれるか楽しみにしていました。競技中、一生懸命に走る姿、そしてそれを応援する声、また、応援合戦、閉会式の際に声高らかに校歌を歌う姿に、君達の意地を感じました。
 
 
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2014/08/28 2学期始業式

 長かった夏季休業も終わり、2学期が始まろうとしています。休み中、熱中症やけがで入院した人もいましたが、命にかかわるほどのことはなく、皆がこうして元気に登校してくれたことを嬉しく思います。それにしても、今年の夏は猛暑かと思えば豪雨だったりと、天候不順に振り回されました。とりわけ、広島市安佐区の豪雨災害は自然に対する人間の無力さを思い知らされました。亡くなられた方々にお悔やみを申し上げるとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げます。
 さて、2学期は大きな行事が目白押しです。来週3日は体育祭。11月には文化祭、そして、23年ぶりに復活する浜商デパートがあります。また、3年生は人生の岐路ともなる就職・進学の試験、1,2年生は新チームでの初めての試合となる新人戦等があるかと思います。皆さんはそれぞれの目標に向かって、“額に汗し”一生懸命に努力してほしいものです。
 今日はその「汗をかく」ことについて、少し話をさせてもらいます。以前、「三かくの教え」について話したことがあるかと思います。「汗をかく、恥をかく、物をかく」。「汗をかく」とは、一生懸命に努力せよということです。「恥をかく」は、恥をかくことを怖れず、つまり、失敗を怖れず挑戦せよということです。1学期の始業式の際、本校の校訓でもある開拓者精神に関連づけて話をしました。「物をかく」については、自分の思考や言動を振り返り、文章化して整理してみるということです。これについては、またの機会に話したいと思います。
さて、その「汗をかく」。だれでもその汗の量的また質的違いがあったとしても、自分のために汗をかき努力はしていると思います。ただ、同じ汗をかくにしても、もっとも尊い汗は、人のため、社会のため、そして国のためにどれだけ汗をかくかということです。
かつてアメリカ大統領ジョン・F・ケネディ(今の駐日大使のキャロライン・ケネディの父)は、その演説の中で「国が自分に何をしてくれるかということよりも、自分が国のために何ができるかを考えよう」といいました。
  Ask not what your country can do for you,
 but what you can do for your country.
 戦後、個人の自由が尊重され、日本が人権尊重の国となったことは誇らしい限りです。ただ、近年、行き過ぎた個人主義により、自分可愛さに権利主張ばかりする人が増えています。与えられることに感謝せず、それ以上のことを要求する。まして、与えようとする発想などない。自由主義というのは、機会の均等を保障するもので、結果まで均等を保障していません。そのことを理解せず、自己の不幸を人のせいにしたり社会のせいにしたりしています。
我々は誰でも、国であったり、会社であったり、学校であったり、組織の一員となっています。そして、組織の一員にあることにより、繁栄を享受しています。たとえ、個人の力が劣っていたとしても組織力で対抗してきたのが日本という国です。自分の国、会社、学校そのものが輝かない限り(船に例えれば、その船が前に進まない限り)、自分の成功はないわけです。誰かのため、自分が属している組織のために汗をかくということは、必ずや自分に返ってくるものです。
 本校の校歌の2番の歌詞を注目してください。「劫初より ・・・ 釘ひとつ 打ちて残さん」。この歌詞は俳人与謝野晶子の短歌からの引用です。もとの句は、「劫初(ごうしょ)より造り営む殿堂にわれも黄金の針ひとつ打つ」です。劫初とは、この世の始まり。人類誕生の以来をいっています。殿堂とは文化殿堂、文明です。自分が生きた証し、また、貢献した証しをたとえ一本であったとしても、錆びた釘ではなくきらりと光る黄金の釘として残したいと詠ったものです。これだけの俳人であったとしても、「釘ひとつ」という謙虚さは逆に感動を覚えます。
先般、23日(土)に卒業生会「蒼陵会」の支部総会が神戸でありました。そこで聞いた話です。開校当時は今のような整地されたグランドではなく、石ころだらけのグランドであったそうです。3期生ぐらいまでの生徒は、日課としてグランドの石を10個拾ってから帰宅することとになっていたそうです。皆が学校のために心を一つにして一生懸命に汗をかいたとのことです。正に、「釘ひとつ」の精神がそこにあるかと思います。卒業生の方々は、開校当時の方々に限らず、すべての人が浜商に愛着を持ち、浜商のためなら何でも行うという熱い気持ちを今なお持っておられます。
 我々は、この精神を引き継いでいかなければなりません。2学期は様々な行事がありますが、皆のため学校のために黄金の釘を打とうではありませんか。いや、黄金の一滴の汗をかいてもらいたいものです。まずは、来週の体育祭でそれぞれが黄金の汗をかきましょう。





2014/08/18 命名「ルフィー」

 中庭の池がきれいになり、コイの数が確認できました。現在、色鯉8匹、黒(野)鯉11匹。泳ぎのスピードにカウントが追いつけず、数え間違いがあるかもしれませんが、合計19匹の浜商コイファミリーです。コイの数え方は、匹ではなく折(おり)と数えるそうで、正確には19折です。
私は、以前から浜商のコイ達に名前を付けようと思っていました。黒鯉は判別が難しいので、せめて色鯉にはいい名前がないか考えていたところ、「浜商コイファミリーを育てる会」(?)の先生及び生徒よりいろいろ意見をいただきました。
 色鯉の中で、白を基調として背中に若干黒模様が走り、頭の赤いコイがいます。このコイは、食いしん坊でよくジャンプをする元気者です。リーダーシップがあり、ファミリーの中ではボス的存在です。名前の候補として、「校長」「生徒会長」「ギャル曽根(大食いタレント他多数)」「伊良部(奥田英朗著 伊良部シリーズより)」等、多数ありましたが、私は漫画『ワンピース』のルフィーと呼ぶことにしました。行動スタイルもさることながら、頭の赤が麦わら帽子にも見えるからです。もちろん、公称ではなく私が勝手に言っているだけです。
 日本の漫画は質が高く、アニメ化された作品は海外でも評価されており、今や「9番目の芸術(特にフランス)」とまで言われることがあります。絵画や音楽、演劇等、伝統的な芸術ほど市民権を得ているわけではないのですが、昨今のアニメブームを考えてみると、もっとも身近な文化(芸術でないとしても)であることは間違いありません。漫画の主人公に感銘を受け、自分を重ねあわせた人もたくさんいると思います。ルフィーは、やることなすこと破天荒なことばかりやっていますが、仲間を思う気持ちが人一倍強く、自分の正義に向って突き進んでいくキャラクタとして描かれています。そして、読者はルフィーからたくさんの勇気をもらうこともあります。例えば、彼の名言「支配なんかしねぇよ。この海で一番自由な奴が、海賊王だ」。他人の自由を保障したうえで、自己の正義を貫く。思いやりの気持ちと自分の考えを貫こうとする意志の強さを感じます。浜商の池のルフィーは、「支配なんかしねぇよ。この“池”で一番自由な奴が、“大食い王”だ」と言っているかもしれません。
さて、次の命名はナミさん。どのコイがいいかなぁ?



2014/08/06 おもてなし
 8月5日(火)・6日(水)は本校の一日体験入学ということで、多くの中学生諸君が来校してくれました。体験授業、部活動体験等を通して、少しでも浜商の魅力を感じてくれたなら幸いです。
 開会の挨拶の際にも話しましたが、我々教職員一同、いや生徒も含めて、この日のために準備をしてきました。玄関前の花壇のマリーゴールド、サルビア、ヒマワリは、ソフトボール部の生徒を中心に運動部の生徒が種まきから毎朝の水やりまで、学校を花いっぱいにしようと思い、大切に育ててきたものです。一日体験入学の日に咲くように育ててきましたが、残念ながら、ヒマワリは種まきが少し遅かったのか、開花して間もない小輪の花しか咲いていない状態です。ただ、中学生諸君のこれからの可能性を象徴するかのように力強く咲いており、これはこれで味わい深いものだと思います。また、たとえ施設が古かったとしても気持ちよく使ってもらおうと、部活動の生徒諸君には、教室、トイレ、廊下等、きれいに清掃をしてもらいました。さらには、池の清掃。S先生の「浄化作戦」が成功して、とれもきれいな状態になりました。
我々だけなくコイも中学生諸君を歓迎しているかのように、元気よく泳いでいます。極めつけは、池の隣の芝生の「WELCOME」という文字です。「おもてなし」の気持ちを形で表現してみました。
  さて、この「おもてなし」。滝川クリステルさんが、昨年の東京オリンピック招致の際に使って以来、日本人の気質を表現する言葉として一躍有名になりました。流暢なフランス語とともに印象的なジェスチャーにより、「おもてなし」は世界中に知れ渡ることとなりました。この言葉の語源として諸説(3説あるようです)ある中で、「表なし」という説があります。表がないということは裏もないということで、「表裏なく誠実に相手と接する。人を大切にする。」という意味かと思います。この気持ちは、「商業」を学ぶ者にとっては、とても大切な行動の規範となるものです。本校の教職員、生徒の「おもてなし」の気持ちが、中学生諸君に伝わっていればうれしい限りです。



2014/07/28  暑い夏を乗り切る

 暑い日が続いています。生徒たちは元気よく、補習や部活動に取り組んでいます。部活動で汗を流している生徒諸君は、熱中症が心配されます。活動中は、しっかり水分を取るとともに、家庭ではしっかり食べて、睡眠時間の確保に努めてください。特に、暑いということであっさりしたものを食べがちですが、スタミナが付く栄養価の高いものを食べることも大切です。
29日は土用の丑の日ということでウナギを食べるご家庭もあるかと思います。ウナギは、豊富なタンパク質のうえにビタミン類が豊富で、昔から夏バテ予防の食材として日本人に愛されてきました。また、ウナギを土用の丑の日に食べる習慣は、江戸時代にさかのぼり、平賀源内が言い始めたともいわれています。また、縄文時代の遺跡にウナギの骨が発掘されたり、万葉集にもウナギに関する歌があるほど、日本人とウナギとの関係は長い付き合いとなっています。
ただ、ニホンウナギの漁獲量は減少の一途で、近年、我々が純国産のウナギを食べる機会は減っています。本年6月、ニホンウナギが絶滅危惧種に指定されたことで、今後益々、食卓に上にのぼる機会は稀有なこととなるのでしょう。日本人のウナギに対する食欲は旺盛で、ニホンウナギだけでなくヨーロッパウナギも食べ尽くし、今後は、東南アジアのウナギに食指が動いているともいわれています。中国人の食欲の旺盛さは有名ですが、日本人も、ことウナギに関しては負けていないようで、そのうち、世界中のウナギを食べ尽くしてしまうかもしれません?私が子供の頃には、川でウナギを捕ることは夏休みの楽しみの一つでした。夕方、川底の穴に仕掛けをして、朝方、ラジオ体操後、その仕掛けを見に行くのが日課でした。ウナギが仕掛けに入っていたときは、本当にうれしかったことが今でも記憶に残っています。もう、こんな何処にでもあった日本の原風景が、ごく一部の地域に限られていることは残念です。
ところで、お隣の韓国においては、夏バテ予防に「参鶏湯(さむげたん)」を食べるそうです。「参鶏湯」とは、丸一匹の若鶏のお腹に、米、ナツメ、高麗人参、ニンニク等をつめ、数時間煮込んだスープ仕立ての食べ物です。昨年、訪韓する機会に恵まれ、韓国の食を堪能する機会がありましたが、確かに、「参鶏湯」は美味しかったです。韓国には、「以熱治熱」という言葉があるそうです。これは、暑い日にあえて熱いものを食べて汗をかき、夏の暑さを癒すという考え方からきているそうです。
土用の丑の日は、ちょっと贅沢をしてウナギや「参鶏湯」を食べてみましょうか。年に一度ぐらいはいいでしょう。正確に言うと、土用の丑の日は年に数回あるので、「夏の土用の丑の日限定のプチ贅沢」と戒めて・・・。


2014/07/22  夏休みが来たー

 待ちに待った夏休み。何の制約を受けず時間にゆとりができ、自分の好きなことができるということでわくわくしている人も多いかと思います。ただ、規則正しい生活をしなければ、せっかくの夏休みも時間の浪費として終わってしまいます。授業日であれば学校での生活時間が通奏低音の如く、規則正しい生活リズムを作ってくれますが、夏休みとなれば自分で時間を管理しなければなりません。「3点固定(起床時間、学習時間、就寝時間を固定すること)」だけは、絶対に守ってください。昼夜逆転の生活になったりすると、体調を崩すこととなります。とりわけ、睡眠のゴールデンタイムといわれる23時から3時の時間帯にしっかりと睡眠時間を取ってください。この時間帯に成長ホルモンが分泌されるということで、まだ成長期にある高校生とってはなおさらこの数時間に睡眠を取ることが必要とされます。「寝る子はよく育つ」といわれる所以です。また、学習したことを記憶として定着させるには睡眠が必要とされます。
ところで、記憶はしているのだけれどなかなか出てこない。例えば、テストが終わった時に解答を思い出したこともあると思います。年をとると、それが日常茶飯事となります。これは、「記憶する能力」と「記憶を引き出す能力」が違うからです。加齢により、「記憶する能力」も衰えますが、「記憶を引き出す能力」のほうがより顕著に衰えます。一言でいうと頭の瞬発力が弱くなるということです。我々ぐらいの年齢になると、言葉が出てこず「あれそれ」でよく済ますことがあります。情けない限りです。ただ、「脳は百歳になっても成長し続ける」(「感動する脳」 茂木健一郎著)といわれています。勉強、運動、感動体験等々、脳に刺激を与え続けることで脳細胞をリフレッシュさせることができます。そして、脳細胞をリフレッシュした後は、しっかり睡眠を取ることも大切です。
この夏休みは、脳によいことをして下さい。そして、一回り二回り成長した姿で2学期を迎えることを期待します。

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 2014/07/18 平成26年度第1学期終業式

 一学期が終わりました。長い夏休みが始まろうとしています。3年生は自己の進路実現のために、補習並びに面接練習に全力を尽くしてください。1,2年生は、しっかり読書をしてください。5冊以上は読んでもらいたいものです。読書については、知識の習得、視野の拡大(考え方の幅を広げる)、想像力の育成等、様々な効用が指摘されているところです。読書習慣の育成のために、こうした話はまた別の機会にしっかりしたいと思います。生徒諸君それぞれが、夏休みを有意義で充実したものとしてくれることを願っています。
 さて、今日は命についての話をさせてもらいます。君達は「生死一如」(しょうじいちにょ)という言葉を知っていますか。生と死は表裏一体。どんなに薄い紙でも表があり裏があるように、物事には表と裏の関係があります。一如とは、「一つの如し」。つまり、同じものであるということです。この言葉は、生と死は隣りあわせの関係であるといっています。人は、いつかは死んでいくもの。また、いつ死ぬかわからない。そうであれば、なおさら今与えられた生を精一杯生きなさいと教えているのです。隣りあわせの関係にある死に対して、また、亡くなった方に対してしっかり向き合い、今生かされているこの時を一生懸命に生きよと受け止めてください。
 君達の命は君達のものでありますが、君達だけのものではありません。お父さん、お母さんから授かったものであります。また、その両親の命もまた、同様に祖父母から授かったものです。そう考えていくと、君達が今ここに存在しているのは、何千年何万年の世代のかかわりが存在していることに気付くと思います。これは、「命の連鎖」の奇跡だと思います。また、命のバトンレースともいえるかもしれません。君達は、両親から命のバトンを受け取ったのであれば、そのバトンを次の世代につなげていく責任があることを忘れないでください。バトンをつなぐとは、もちろん、君達の子供を始めとする次の世代を意味しています。
 「命の連鎖」は、人から人への連鎖だけではありません。我々が食事をするときに、「いただきます」といいます。これは、何をいただくのでしょうか。それは、動植物の命をいただくということです。動植物の死をもって、人は生きているのです。それに感謝の意を表すということで、「ごちそうさまでした」といっています。特に、意識して使っているわけではないのですが、人の生が動植物の死という犠牲により存在しているという深い意味が込められているのです。子供の頃、トンボやセミを捕まえて持って帰ると、母親(あるいは父親)から「かわいそうだから放してやりなさい」といわれた人もいるかと思います。セミは7~8年地中に幼虫として生活し、成虫となり地上に出てからは1週間の命しかないといわれます。人の遊びや戯れで、限られた命が全うできなくなるということは、「無益な殺生」ということになります。母親の言葉はそのことを戒めるものです。
 そうした「命の連鎖」だけでなく、人には社会的な関係から生ずる連鎖もあると思います。人はお互いに影響し合っています。君達がここに存在するのは、多くの方々から支えてもらった賜物です。その影響力は計り知れないものがあります。我々は、人の集まり、つまり、家族なり学校なり、何らかの社会の影響のもとに生活しています。そして、君達自身が社会に影響を及ぼしていることも事実です。「命の連鎖」だけでなく、社会という単位での相互作用が連鎖として存在することとなります。君達が一生懸命に生きるということは、自分のためであるとともに、周りの人のためでもあります。自分の頑張りは周りの人にも良き影響となると思って、毎日を大切にしてもらいたいものです。お互いに高めあえる学校集団であって欲しいと強く願います。



 2014/07/17 「柔」よく「剛」を制す?

 本校野球部は、16日(水)選手権大会島根県予選において、強豪安来高校相手に2対4で惜敗しました。奇しくも昨年の秋季大会と同じ相手。その時には、0対9で7回コールド負けという残念な結果であったので、リベンジに向けて選手諸君は気合が入っていたと思います。また、同じ相手ということで、自分たちがこの1年間でどれだけ成長したかを測る絶好の相手だったと思います。
 初回、2点先攻され、いやなムードになりましたが、安来の剛腕投手に対して、浜商打線は振りをするどくミート打法に徹してすぐに同点に追いつきました。漫画『巨人の星』で、父一徹が息子飛雄馬の剛速球を「へそ打法」で攻略したのを彷彿させる見事な攻撃だったと思います。その後、投手戦が続き、相手投手の「剛」に対して、本校投手は「柔」で対抗し、緩急を巧みに使い相手打者のタイミングをはずし、強豪打線を封じ込めました。どんなスラッガーでも、自分のスイングが出来なければヒットを打つことはできません。そのことを、証明するピッチングだったと思います。また、バックもよく守ったと思います。センターの好捕。内野ゴロの送球がそれてもファーストがタッチプレーでカバー。ミスを帳消しにするチームワークが光っていたと思います。そして、何よりもレフトから本塁へのレーザービーム(?)による捕殺。これがなければ、大量失点になっていたかもしれません。
 残念ながら追加点がなく負けてしまいましたが、ナイスゲームであったと思います。1年間の成長はとても大きなものであったと思いました。
 応援もよく頑張ってくれました。10日ぐらい前からにわか応援団が組織され、放課後、毎日のように応援練習をしてくれていました。本番でも、応援団長(?)の指示のもと、スタンドが一体となった応援が展開されました。吹奏楽部もコンクールが近いにもかかわらず、応援曲を練習し、りっぱな音色を響かせてくれました。応援団、吹奏楽部の諸君に感謝します。そして、試合後のエール交換。これぞ高校野球の真髄を感ずるもので、グランドだけでなくスタンド間でもお互いの健闘を称える姿には感動させられました。
 最後に、多くの保護者並びにOBの方々にスタンドより応援していただきましたこと、ありがとうございました。



 2014/7/7  「青」、「緑」?

 中庭の池に「アオコ」が大発生しています。5月下旬から気になっていたのですが、今年は空梅雨の影響もあるのか、例年以上に「アオコ」が発生したようです。池には、何十年この池に住み、浜商の歴史とともに生きてきた鯉が何匹かいます。夏休みになったら、生徒にもお願いして、水を入れ替えたいと思うところです。毎日、鯉の様子を観察していると、それぞれ個性があることがわかります。餌に対して貪欲なもの、人なつっこいもの、臆病なもの、元気よくジャンプするもの等、人間と同様に個々の違いを感じます。今、それぞれに名前を付けようと思っています。そのことについては、またの機会に書きたいと思います。
 ところで、この「アオコ」。「緑色」をしているのに、「アオコ」といいます。日本語には、「緑」を「青」と表現するものがたくさんあります。「青葉」、「青野菜」、「青汁」、「青虫」、「青信号」等々。もともと日本語の色の表現は、4種類しかなかったそうです(奈良平安時代)。「青色」、「白色」、「黒色」、「赤色」。「緑色」は、「青色」の中に含まれていたようです。また、「若々しい」、「みずみずしい」、「生き生きしている」、そうしたものに対して「青」と表現しています。「青葉」、「青野菜」等から、そのことは想像されます。これは、日本人の「感性」からきているようです。確かに、「緑色」には強い生命力を感じますね。
元教育長の藤原義光氏は、「感性を磨けば人生が楽しくなる。知性を高めれば人生が豊かになる」という言葉で、「感性」、「知性」の大切さを強調しておられました。何気ない生活の中に、「はっ」と気づき、何かを感ずる人であって欲しいと思います。



2014/07/02 「○○は遠いなぁ」

 先日、ある人との会話です 「私は松江の出身ですが、浜田は遠いですね。車で2時間以上かかりますからね。もう少し、早くなるといいですが」この私の発言に対して、その方は、「校長先生、その言葉を聞いて浜田の人はどう思いますかねぇ?浜田の人は、その遠い浜田から松江に出張することが度々あるのですよ」 と私の軽率な発言をやんわりと諌めてくれました。
 私の発言は、相手の立場に立ってのものでは無かったのです。私は、松江を起点として浜田の遠さを主張しているわけで、浜田の人はいつも浜田を起点として松江を捉えています。島根は県都が松江にあり、その関係から松江で会議が開催されることが多く、その度、浜田から松江まで出張することとなります。私の発言を苦々しく思うのも無理はありません。そのことに気付かず、相手への思いやりに欠けた無神経な発言をしてしまったのです。
 浜田に暮らし始めてから数か月。まだまだ、「浜田人」になっていないことを痛感しました。「浜田は遠いな」でなく「松江は遠いな」と言えるよう、いや、「松江は遠いのー。もちーっと、はよー、なりゃー、ええがのー」と言えるようになりたいです。


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 2014/06/24 感動と勇気をいただき、ありがとうございました

 先日、17日(火)に「さわやかステージ2014」を開催しました。これは、人権・同和問題について関心や学習意欲を高め、差別や偏見をなくそうとする主体者形成を目的として例年行っているものです。今年は、講師に三浦成人さんをお招きし、全校生徒、教職員、保護者を対象に講演を行っていただきました。
90分間休憩を取ることもなく、終始、熱く語られる姿に、皆、感動を覚えました。また、感極まって涙を流した生徒諸君もいたことと思います。人は、頭で理解できても心で理解することは難しいと言われることがあります。しかし、この講演を聞いた者たちすべて、心で理解するとともに、差別や偏見に対して立ち向かおうとする勇気をもらいました。
三浦さんの話の中で、「浜田商業高校の先生方は、君たち(生徒諸君)を信じているから、私がここで話しているのですよ。」という言葉があり、私は、その言葉を聞いて背筋の伸びる思いがしました。生徒諸君が差別の話を聴いて、それを差別する方向で使うのではなく、差別をしないという自分の生き方に結び付けていってくれると信じているからこそ、この講演を行っているというご指摘でした。三浦さんに感謝するとともに、その勇気に少しでも近づけるよう、私自身も勇気を持たなければと思いました。


    
 


 2014/06/17 ソフトボール部の活躍

 ソフトボール部が今年もやってくれました。昨年は、総体決勝戦において最終回逆転負け。今年はリベンジを誓って、奇しくも昨年と同じ相手である三刀屋高校と準決勝で対戦することになりました。強豪校の相手チームには実力的に劣りますが、キャプテンを中心にチーム一丸となって戦ってくれました。「さわやか浜商」の言葉通り、笑顔で一生懸命に白球を追いかける姿は、見るものに感動を与えるものでした。
今、テレビドラマで「弱くても勝てます」という番組が放映されていますが、それを地で行くものでした。一瞬、私には、監督の姿が嵐の二宮和也に見えました。自分たちができること、自分たちの力を発揮することだけに集中していました。接戦に持ち込めたのも、自分たちのスタイルを通すことができたからだと思います。
 会場には、選手の保護者だけでなく、教職員、さらには、昨年、惜しくも優勝を逃したOGも駆けつけてくれました。精一杯応援していただいたことに感謝いたします。選手と応援席との一体感は、正に「チーム浜商」を象徴するものでした。OG諸君の卒業しても後輩を大切に思ってくれるその気持ちは本当にありがたいものです。先輩後輩の縦の繋がりが学校を支えてくれます。また、学校の存在が人と人との繋がりを仲介しています。人は共有するものを通して繋がっていくものと、強く感じました。
       



 2014/06/10 総体を終えて

選手の皆さん、お疲れ様でした。
 今回の総体は、女子ソフトボールで総体得点8点、男女総合Bグループ15位、女子総合4位という結果でした。学校対抗順位では、若干、寂しい感じですが、ほとんどの競技で、最低限の目標であった一回戦を突破してくれことをうれしく思っています。本当は、もっと高い目標を掲げて、よき成果や記録を狙っていたことと思います。悔しくてたまらない人、とりわけ、3年生にそういう人が多いかと思います。しかし、記録は残すことはできなかったとしても、君たちの記憶にはしっかり残ったものがあるはずです。
 私は、入学式の時、新入生だけでなく全校生徒に対して、「世界で一つだけの“樹木(はな)”となれ」という話をしました。花屋の“花”ではなく、大地にしっかり根をはった“樹木”となり、自分の花を咲かせてもらいたいとエールを送ったつもりです。そして、高校時代には、目に見える花ばかりにあこがれるのではなく、目に見えないところでの営み、つまり、樹木に例えれば、根っこにあたる部分を成長させることが大輪の花を咲かせるために必要であるとも言いました。
 それでは、この根っことは何でしょうか。それは、知識や教養、技術もあるかと思いますが、一番大切なものは、感動体験と人との出会いです。部活動には、その要素がたくさんあります。たとえ勝負に負けたとしても、その体験はかけがえのないものです。「勝利の喜び」、「負けた悔しさ」、「友の優しさ」、「お世話になった人への感謝」、「一生懸命に努力してきたこと」等々、これらすべてが感動体験の記憶として君たちの心の中に残ることとなります。また、知り合った友、先輩後輩、他校のライバル達、そして、先生方、さらには応援してくださった地域の方々等、どれだけの人とかかわることができたか。この人とのつながりが今後の君たちを支えることになるはずです。この総体で、君たちは多くの宝物をもらったことと思います。
最後に、親への感謝も忘れないでください。まだ、お礼を言っていない人は、照れくさいかもしれませんが、素直に「ありがとう」の一言をお願います。




 2014/06/03 カタツムリとでんでん虫

 6月になりました。そろそろ、梅雨入りです。この時期、雨上がりの朝には、アジサイの葉っぱで遊ぶカタツムリを見かけることがよくあります。
 これは、先日、聞いた話です。
 5歳の女の子が、母親に「お母さん、カタツムリはでんでん虫ともいうんでしょ。どうしてなの。」と聞いたそうです。
 お母さんは、必死になって調べたそうです。
 文部省唱歌でも「でんでん むしむし かたつむり おまえのあたまは どこにある つのだせ やりだせ あたまだせ でんでん むしむし かたつむり おまえのめだまは どこにある つのだせ やりだせ めだまだせ」という歌詞が示すように、両方の“名前”がでてきます。
 語源も調べたそうです。
 カタツムリは、目を交互につぶる動きから来ている説と傘を付けた虫という説があるようです。また、でんでん虫は、角を「出よ出よ」というはやし言葉からきているようです。また、地方によっては、「デデムシ」ともいうことでした。
 しかし、それを娘に説明しても意味があるのかと、悩んでいたそうです。
 そして、数日後。
 娘は、「お母さん わかった。でんでん虫は私といっしょでハーフなんでしょ。」といったそうです。
 この娘は、父親がフランス人、母親が日本人のハーフということで、二つの名前を持っていました。自分をデンデンムシに重ね合わせて、自分なりに考えて答えをだしたようです。
 子供の発想ってすごいですね。知識による回答がいつも正しいわけではない。感性や独創によって導き出された回答が正解の場合もあるようです。

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 2014/05/26 平常心
高校スポーツの祭典、「高校総体」が今週末から2週にまたがって開催されます。本校は、陸上、柔道、サッカー、バレーボール、バスケットボール、ソフトテニス、弓道、ソフトボール、水泳での出場となります。選手諸君には、平常心を保ち、自分の力を100%発揮してもらいたいものです。とりわけ、3年生にとっては、最後の大会となる人もいるかと思います。有終の美が飾れるよう、頑張って欲しいと思います。
試合では、自分の力以上のものを発揮することはできません。練習でやってきたこと、教えてもらってきたことだけをやることに集中して下さい。ところが、それがなかなか難しいことです。自分の力が発揮できないのは、過度な緊張、不安、焦り、相手への恐れ等、自分自身の負の心に因るケースがほとんどです。本来、味方であるはずの自分の心が敵になることがあります。「敵は自分の心の中にある」といったりもします。相手のことを考える以前に、自分自身の心をコントロールすることが大切です。負の心を排除して、平常心でおられるかどうかが大切です。目の前のこと、自分がやるべきことだけに集中してください。
ただ、自分の心に勝つこと(克己心)を意識し過ぎてはいけません。緊張するなといっても、緊張するものです。緊張を抑えようとすれば、よけいに力が入ったりします。イチロー選手が朝起きてから試合でのバッターボックスに立つまでルーティーンを変えない話は有名です。自分の行動を変えないことによって、心をコントロールするという例です。平常心は、毎日の練習、そして、普段の行動と変わらないことを行い続けることによって生まれてくるものと思います。
 


 2014/05/15  N先生の草取り

先日、職員官舎での出来事です。同僚のN先生が汗だくになって草取りをしていました。彼が言うには、「少し汗をかこうかと思ってやっています。どうせ汗をかくのなら、少しでも人の役に立てばと思いまして。」とのこと。すばらしい心がけ、感心しました。
笠柄にある職員宿舎では、浜商の職員が数名お世話になっています。定期的に清掃日があり、その際には、職員総出で除草作業を行ったりしますが、自主的に清掃をすることはなかなか出来ることではありません。
清掃については、昔から「三心清掃の教え」というものがあります。「心を清め 心を磨き 心を鍛える」ということですが、環境を美しくするだけでなく、自分自身の心の教育にもなることをいっています。N先生は、体の汗だけでなく、心の汗もかいていたということです。さすが、浜商の教員です。私も見習わねばと思いました。

除草前

除草後


  2014/05/11 浜商郷土芸能部の本年度初舞台

 浜商郷土芸能部の本年度初舞台(浜田市旭町地域交流プラザまんてん)を見学しました。県内はもとより県外からも出演依頼をいただいている浜商郷土芸能部も、久々の舞台ということで若干の緊張感もありましたが、皆、それぞれの役を張り切って演じていました。私が見たのは「頼政」。正直、初めて見るものでした。源頼政の鵺退治の神楽だそうです。鵺とは怪物、妖怪の類のもの。また、トラツグミという鳥の場合もあるようです。映画にもなった横溝正史原作の「悪霊島」では、「鵺の鳴く夜は恐ろしい」というフレーズで話題となりました。神楽の演目では、頭は猿、体は牛、尾は蛇、手足は虎の獣(妖怪)です。鵺の取り巻きとして登場する6匹のサルが、会場を所狭しと暴れまわり、少しはめをはずしたサルは小さい子どもとツーショット写真に納まっていました。会場の一体感が最高潮となり、鵺が頼政の弓で射抜かれ時には、思わず大きな声を出している自分に気が付きました。私も、相当、テンションが上がっていたようです。神楽のおもしろさを堪能しました。
 今後とも、浜商郷土芸能部をお引き立てください。

 
   

 
 2014/04/30 浜っこ春まつり
 

 1949年から始まる伝統ある「浜っ子春まつり」を初めて見学しました。勇壮な「武者行列」、近年流行の「よさこい踊り」等伝統的な日本の祭り中に外国人の方も行列に参加しておられ、長い歳月のもとに進化する浜田の春まつりを堪能しました。馬がウンチをするというハプニングにも、織り込み済みで適切な対応をしておられ、「チーム浜田」の一体感を感じました。本校の生徒も殿様の輿を担ぐという重要な役どころで参加しており、祭りを大いに盛り上げてくれました。浜田を愛し、大切に思う心意気に拍手を送ります。まさに、「浜っ子」にふさわしい活躍でした。
 帰りがけ、おもしろい看板を見つけました。「スーパー浜田人となれ」というキャッチコピーには、思わず顔がほころびました。君たちは、「スーパー浜田人」となりました。あっぱれ!
 
 
左 浜商生    中央 ハプニング(馬が失敗しました)  右 おもしろい看板を見つけました 

 2014/04/28 コブシ

「白樺(♪~)、青空 南風 コブシ咲く あの丘 北国の ああ~ 北国の春(♪~)」。これは、千昌夫が歌って大ヒットした「北国の春」の冒頭のフレーズです。もっとも、30年以上も前の歌なので知らない人も多いと思います。このフレーズにぴったりの光景が、以前、私が勤めていました国立三瓶青少年交流の家にあります。通称、「つどいの広場」といっているところに、コブシと白樺が植えられています。春の青空の下、南風が吹けば、私ぐらいの年齢のものは、思わずこの歌を口ずさんでしまいます。
浜田近辺では、3月の終わりぐらいに花が咲いていました。三瓶は、平地と比べると一ヶ月近く季節が遅れるので、もう、三瓶のコブシも終わりかと思っていましたが、何とか写真に収めることができました。この写真は、26日(土)に撮影したものです。
さて、コブシは、春を呼ぶ花としてだけではなく、秋を感じさせる花としても知られています。コブシの語源は、秋に人のこぶし大の赤い実をつけるところからきています。春には花、秋には実をつけ、一年に二度楽しめる樹木です。
コブシの花言葉は、「歓迎」「友情」です。新入生の皆さんは、コブシの花とともに、在校生教職員に「歓迎」されて入学しました。そして、教室では新たな友を得たことと思います。出会いを大切にして、「友情」も深めていってください。


コブシ
 
青空と三瓶青少年交流の家

 白樺

 
 2014/04/21  白モクレン

この写真は、赴任に伴う事務引き継ぎで浜商に来た際、正門にて撮影したものです。3月28日であったかと思います。この花の名前はわかりますか。私は、この時期に咲く白い花は、コブシしか思いつきませんでした。コブシは春を呼ぶ花ということで、私の大好きな花の一つです(コブシについては、またの機会に書きます)。教頭先生に聞いたところ、これは、モクレンということでした。正確には、白モクレン。久々に聞く、言葉の響きに一瞬、昔にタイムスリップしてしましました。
懐かしいモクレンという言葉の響きだけでなく、この花の香りに酔ったのか、およそ40年前に呼んだ本のタイトルがよみがえりました。それは、庄司薫の「白鳥の歌なんか聞こえない」。庄司薫は、「赤頭巾ちゃん気をつけて」という作品で芥川賞をとった作家です。薫ちゃんシリーズという作品を立て続きに発表し、当時、大変、人気のあった作家です。作品そのものはフィクションでありますが、私小説ではないかと思わせる部分もあり、大人になりきれない自分、異性へのあこがれ、モラトリアム発想で大学進学することへの疑問、社会に出て行くことへの不安等がテーマとなっていました。高校生であれば誰でも感ずるものです。当時の私も、主人公になりきった気分で、むさぼりよんだ記憶があります。作品の中に、白モクレンが登場するシーンがあります。この花の存在が、正に作品に花を添えるものとなっています。モクレンの花の香りに感覚が麻痺し、おとなへの扉(?)を開けようとするシーンは少し背伸びした高校生には刺激的でした。作品は、映画にもなり、また、NHKのドラマにもなりました。NHKのドラマでは、ヒロイン役として、仁科明子(今は亜紀子)が抜擢され、高校を卒業したばかりの彼女が大胆な演技をして評判になりました。それ以来、私は彼女のファンです。
 何かに感動した記憶は、年月が経っても色あせることはないと改めて感じました。また、来年、花が咲くのが楽しみです。



 
 
2014/04/09  平成26年度入学式

 山野の木々にも新しい春の息吹が感じられる今日の佳き日、PTA会長田中和実様をはじめとするご来賓の皆様のご臨席を賜り、平成26年度島根県立浜田商業高等学校入学式を挙行できますことを、ここに、衷心より感謝申し上げます。
 ただ今入学を許可しました66名の新入生の皆さん、入学おめでとう。在校生、教職員一同、心より皆さんの入学を歓迎します。今日から始まる高校生活の一つ一つの出来事が、青春の軌跡として皆さんの心に刻み込まれていくことを考えると、ぜひとも、楽しく充実した毎日となってほしいと強く願うものです。
 また、幼いときからお子様を慈しみ暖かく支えて来られました保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。
私ども教職員一同、これまでのご労苦に対しまして敬意を表しますとともに、お子様のより一層の成長を願って、全力を尽くし、教育に専念することをお誓いいたします。
 本校は、昭和40年に開校された石見地域唯一の県立商業高校です。卒業生11,513名、在学中には学習と部活動において輝かしい実績を残すとともに、卒業後は校訓にある開拓者精神を、今なお、心に抱きつつ、産業界ならびに地域の有意な人材として活躍しています。本年度は、そうした輝かしい歴史と伝統の上に、50年目という節目の年を迎えようとしています。これを祝すとともに、新たなスタートを切るべく、来年11月には記念式典を石央文化ホールにて挙行する予定にもなっております。9号線の入り口には、すでに記念事業の一つとして広報看板を実行委員会よりご寄贈いただいています。今日、気づかれた方もいらっしゃるかと思います。高い席からではございますが、関係各位に御礼申し上げますとともに、来る式典にはご臨席いただき花を添えていただきますよう、併せましてご案内申し上げます。
 さて、新入生諸君は、将来への夢と希望に胸を膨らませ、これからはじまる高校生活に対して決意も新たにしていることと思います。
 皆さんには、この3年間で、未来を切り拓こうとする志を抱くとともに、心身ともに健康で、豊かな心と高い知性を身につけてもらいたいものと思っています。そのことが、実現できるよう、皆さんへ、ヒントとなる話をしたいと思います。
 スマップが歌う「世界でひとつだけの花」は、皆さんもよく知っている歌かと思います。「花屋の店先に並んだ」からはじまり、「もともと特別なオンリーワン」で終わる歌詞となっており、人それぞれ違う種を育てて、自分の花を咲かせよといっています。丁度、春には桜が咲き、夏には夾竹桃、秋にはキンモクセイ、冬には椿が咲くように、人も花が咲く時期は違いますが、一生懸命に努力すれば、必ずや自分の花を咲かせることができるというものです。まさに、人が人間らしく生きるための応援歌だと私は思っています。ただ、私はひとつだけ歌詞に不満があります。それは、人は花屋の花ではなく、大地にしっかり根をはやした樹木であると考えます。花屋の花であれば、開花が1回限りの切り花で終わってしまうこともあります。樹木であれば、開花の季節がくれば毎年のように花を咲かすことができます。「世界でひとつだけの花」の花の字を樹木とすべきだと思うところです。
 それでは、一生懸命努力するとはどういうことでしょうか。花にたとえれば、養分や水分を吸収するために、しっかり根をはろうとすることです。目に見える花の下では、目に見えない地中での営みがあります。人も同じです。花をさかせるためには、目に見えないところで地道に努力することが大切だと思います。高校時代は、とりわけ、基礎基本を身につけ、自分自身の根っことなるものをしっかり作り上げる時期だと考えます。花ばかりにあこがれて、上だけを見るのではなく、足元をしっかり見て地道な努力をしてほしいと思います。
 最期に、保護者の皆様と私ども教職員は、本日より66名の将来を託された若者を育てるという共通の仕事を、協力して行うこととなります。お互いの理解と信頼関係が築けてこその協力体制です。私ども、全力を尽くしてお子様の教育に当たります。何とぞ、保護者の皆様におかれましては、本校の教育活動にご理解、ご支援のほどよろしくお願い申し上げ式辞といたします。


  
2014/04/08  平成26年1学期始業式

 平成26年度第1学期の始業式あたり、2,3年生の諸君に話をさせてもらいます。
 3年生は、最上級生となり、高校生活の仕上げの年となります。とりわけ、この1学期は自分の進路を決めるためのとても重要な学期です。進路に関する情報収集に努めるとともに、周囲の方々と積極的に相談をしてください。君たちの進路が実現することを願っています。
 2年生は、将来、自分がどうあるべきかをじっくり考えてください。いわゆる自分探しなどといわれますが、自分の夢、適性、能力等、自分を見つめなおすことに努めてください。自分自身を自己分析する力は大切だと思います。
 さて、私は、初めての浜商勤務にあたり、本校の校訓について改めて考えてみました。校訓を理解することで、君たちが進むべき道、また、高校生活の在り方を知ることができると考えたからです。
 冒頭の「開拓者精神に徹し、気魄と情熱に燃えよ」の中の「開拓者精神」、これがどう生きていくのかの精神的支柱になるものと考えます。「開拓者精神」、それは、失敗を恐れない「チャレンジ精神」と言い換えてもよいと思います。失敗を怖がって、最初の一歩が出ない人がいっぱいいます。傷つくのが怖い。恥をかくのがいやだ。そうした負の感情が失敗に対する過剰な反応となっていると思います。若いときは、むしろたくさん失敗をすべきです。いや、大人になってからも同様だと思います。失敗から学ぶことがたくさんあります。失敗しても、また、そこから、新たにスタートすればよいのです。やりなおしは出来ないにしても、出直しはいつでもできます。前向きな姿勢であることを、心がけてください。
今年度、先生方と会議を持ちまして、校訓である開拓者精神の教えを守り、教育目標を次のようにしました。「未来を切り拓く志を抱き、心身ともに健康で、豊かな心と高い知性をもった生徒を育てる」。開拓者精神をもって、知徳体を磨いてもらいたいものです。繰り返しますが、失敗を恐れず何事にもチャレンジしてください。
 なお、畑村洋太郎という方が書いた「失敗学のすすめ」には、失敗の効用がたくさん書かれています。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
 少し紹介しますと、畑村さんというのは、東京大学名誉教授で福島原発事故調査委員会の委員長もされた方です。今の若い人は、失敗というより道の経験が少なく、「自分が学んできた原理原則と少しでも異なる事態が発生すると、対応ができず、時に、投げ出してしまうことがある」と指摘しておられます。世の中、すべてマニュアルどおり進むわけではありません。失敗経験のある人ほど、イレギュラーなことに対処する能力、また、冷静に対応しようとするタフな精神力がそなわっているといっています。
最後に、明日は入学式です。66名の生徒諸君が我々の仲間となります。さすが、「さわやか浜商」の上級生だなと思われるよう、気持ちよく迎えてもらうことを期待します。
以上で、始業式の話を終わります。 
 

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